2012年8月29日水曜日

色の話

 前回は視覚の話が出ましたので、関連して色の話です。
人間が見ている映像は反射した光が人の眼を通して見えています。景色には色がついています。元々太陽光は人には無色(白色)に見えていますが、光が物に反射すると、固有の波長の光が吸収されて、吸収されなかった波長の光が人の眼に入ります。偏った波長の分布を持った光が波長特有の色として見えるのです。
人の眼が色として感じることが出来る波長は380780ナノメートルといわれています。いわゆる可視光です。太陽光が色として偏りのある波長分布になるのは反射するときだけではありません。雨上がりに見える虹も太陽光からの光が波長により色分解されて発色しているのです。光は電磁波の一種でまっすぐに進む性質を持ちますが、性質の異なる物質に進むとき、例えば空気から水、空気からガラスへといった場合、斜めに入った光は角度を変えて進む性質があります。この現象を屈折と呼ばれていて、波長の短い青~紫の波長ほど大きく角度を変えて進む性質があります。 プリズムを通過した光が虹色に見えるのはこうした光の性質によるものなのです。
プリズムによる光の分光
 七色の虹と言われるように虹は7色で表現されますが、本当に7色しか色がないのかというとそうではなくて赤、橙、黄、緑、青、藍、紫が連続的に変化して無数の色があるのです。人間は虹の色で表されている波長の光を視神経が感じているわけですが、太陽はもっと広い波長領域の光(電磁波)を放っているのです。赤より波長の長い部分を赤外線、紫より波長の短い光を紫外線と呼んでいます。太陽からは280nm~3,600nmの広い波長域を持った電磁波が放出されています。赤色に見える光の波長は610~780ナノメートル(nm)紫に見える波長は380~430nmですから、人は太陽光のほんの一部の波長領域しか感じることが出来ないのです。
 しかし太陽光のスペクトル分析を行うと人が感じることが出来る500nm付近にピークがあり人間は効率的に太陽光を活用した動物であると言うことも出来るのです。
三浦 実  




2012年8月25日土曜日

「百聞は一見にしかず」に根拠はあるか?

 「百聞は一見にしかず」という良く使われることわざがあります。
ところでこの百対一について、語呂が良いという以外に定量的な根拠は有るのでしょうか。

英語ではPicture is worth a thousand words.が定訳で、つまり千対一です。

医学、解剖学の情報を調べると諸説ありますが、視覚神経細胞は約400万個、聴覚神経細胞は約3万個とされており、神経細胞数の比較では130倍となり、ことわざとほぼ一致します。
視点を変えて情報通信の観点から画像と音声を比較してみます。
現在の地上波デジタル、BS/CSデジタル放送では主放送はMPEG2、ワンセグはH.264/MPEG4-AVCという高度の圧縮技術を用いているので単純な比較は難しいですが、2011724日に終了したアナログテレビ放送(東北地方は2012331日停波)ではAM変調の映像帯域幅とFM変調の音声帯域幅の比率は約170となり、やはりことわざは定量的にも妥当と思われます。

清水寺の仁王像(吽形)
話は少し変りますが、目と耳では性質に違いがあると感じています。
映画やビデオはあまり繰り返して見ることが少ないですが、好きな音楽は何十回、何百回も聞くことは珍しくありません。「画像は飽きるが、音楽は飽きない」、この性質は何に拠るのでしょうか。
 画像はデータが大きいので頭脳の負荷が大きく、音楽はデータが小さいので負荷が少なく、聞きながら別な作業が出来るということかもしれません。

寺門に設置されている仁王像は開口の阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像の一対ですが、この鋭い目力で仏敵が入り込むことを防いでいます。目は強い情報発信力も備えているということでしょうね。
目と耳に関わることわざを検索すると、4倍ぐらい目に関するものが多くヒットします。 

ATACは「現場、現物主義」であり、傍目八目、耳聞は目見に如かずという言葉もあるので、課題をお持ちの中小企業さんは是非ご相談下さい。一隻眼のメンバーが御相談に伺います。
                                                               坂井公一

2012年8月11日土曜日

45年前に買った計算尺

関数電卓を押入れの奥から探し出した際に計算尺が出てきました。(下写真)

これは高校生の時に近くの文具店で買ったもので400円でした。

  メーカはHEMMIと印字されています。専用ケースに納めていたとはいえ、滑尺(中央部)やプラスティックのカーソルも滑らかに動きます。固定尺も滑尺も素材は竹であり、上下の固定尺はステンの薄板でつながれています。ゆるすぎず、固すぎず、実に微妙に滑尺は動きます。竹の表面の目盛板も剥がれず、鮮明に文字が読めます。この計算尺の製造現場を見た記憶があります。職人さんがゲージを使い先の鋭い工具で目盛版を刻み、黒インクを刷り込んでいた風景です。

上写真:カーソル部分
歴史を調べると、1614年にイギリスのジョン・ネイピアが対数を発明し、1632年に ウィリアム・オートレッドが計算尺を開発したと書かれています。日本には19世紀の終わりに留学生が持ち帰り、それを基に逸見治郎が独自の計算尺を開発、1909年に特許を出願しました。1933年に逸見は逸見製作所を設立しました。現在のヘンミ計算尺株式会社は従業員100名で制御機器や分析装置を開発しています。

1965年に全国高等学校校長会で採用が決定されたとのことで、私が計算尺を購入したのは当にこの時期です。円盤型の計算尺も記憶がありますが、押入れからは見付かりませんでした。
計算尺は20世紀における科学技術に偉大な貢献をしたようで、マンハッタン計画やアポロ計画を推進できたのは計算尺のおかげだそうです。エンリコ・フェルミは、計算尺の達人であり、ロケット開発の元祖であるフォン・ブラウンも常時携帯し、日常のちょっとした科学的概算に使用していたということです。

上写真:竹製の固定尺とカーソルガイド溝
高温多湿の日本での使用に耐えるため素材に竹を使い、日本の職人が丹精込めて作った計算尺は精度の高さで信用を勝ち取り、世界占有率80%を誇りましたが、その後の関数電卓の発売により、1980年には生産はほとんど中止されたという深い歴史があります。

見付け出した私の計算尺を思い出しながら動かすと掛け算、割り算、平方根、立方根、三角関数、対数変換が何とかできました。
計算尺で読み取れる数字は3桁、多くのアナログ計測器の精度は3桁、人間の記憶には3桁の数字が適し、またほとんどの技術の議論は有効数字3桁で表現出来るので、計算尺は合理的な計算道具と言えます。

偶然に古い道具を見付けたおかげで、科学計算の歴史や対数計算の理屈、さらに45年を経ても精度を保つ、日本の物造りの素晴らしさを納得しました。やはり道具は大事に持っておくものですね。
                            坂井公一

2012年8月5日日曜日

40年前に購入した米国製関数電卓


   電気メーカのオーディオ機器部門に配属され、設計の仕事を始めたのは昭和50年でした。当時は計算尺を用いて回路設計をしていました。その23年後に米国のヒューレット・パッカード社が世界初の関数電卓HP-35を発売し、大学の生協で売っていると聞き、無理をして購入しました。(上写真)
  価格は記憶では7~8万円したと思います。米国での売価は395ドル、為替と輸入費用を考慮すると妥当な価格でしょうが、これは当時の手取り給料であり、ずいぶんと無理をして買った記憶があります。品番の由来はキーが35個あるからだと後で聞きましたが、確かに今数えると入力キーは35個です。何しろ書籍の末尾に付いていた数表で求めていた三角関数、対数などがキー操作一つで求まり、また50ステップほどのプログラムが可能で、条件設定をして自動計算が出来るのは感動ものでした。
  実際に使って戸惑ったのは逆ポーランド方式という入力方法です。すでに国産の電卓はありましたが、たとえば2+3=という風に数式通りに入力しますが、逆ポーランド方式では2ENTER、3、+という順で入力します。不思議な手順ですが、実は言葉で「23を足す」という語順と同じですぐに慣れました。
 最も便利だと感じたのは工学小数点という表示方式です。これはENGと操作すると10310-6というように計算結果の指数部分を 3の倍数にするものです。
このHP-35は残念ながら数年で動かなくなりましたが、次に購入したのはHP19Cです。これは9万円ぐらいしたと思いますが今でも電源をつなぐと動きます。(下写真)

 HP-19Cは小型のプリンターも付いている優れ物でした。
これらの電卓はLED表示であり、電池も貧弱なためにすぐに電池切れするために、やがて国産のLCD表示の薄型関数電卓を3機種購入し、今も使っていますが2000円ぐらいで買えたと思います。
 技術の仕事は常に計算ですが、今はその場での概略計算は関数電卓で、精密で大量の計算はExcelで行っています。
 実際の集積回路や電子機器など電気系の開発部門ではEDAElectronic Design Automation)と呼ばれる、自動化を支援するための高速で高精度のソフトウェアやハードウェアが広く使われていますが、自分で理論式を立て、特異点などを計算することは重要と思われます。
 それにしても逆ポーランド方式や工学小数点という表示方式は無くなってしまったのでしょうか?
当時は仮に特許などがあったとしても、40年近く前の話であり、その後関数電卓の市場支配をしたSH社やC社がなぜ採用しなかったのか今でも不思議です。
                              坂井公一