2010年1月17日日曜日

かつて堺県があり、奈良県がなかったときがあった!


奈良では今年(平成22年―西暦2010年)を、「平城遷都1300年」と称し、さまざまなイベントを繰り広げる計画があります。
また、奈良はシルクロードの東の終着点としても重要な意味を持ち、人類共通の文化遺産であるシルクロードが世界遺産に登録されるという話もあるそうです。
奈良=大和の国は、古い歴史に彩られ、日本最古の政治の中心地であり、私たち日本人の心の故郷であることは、誰しも疑いのないことだと思います。

倭(やまと)は 国のまほろば 
  たたなづく 青垣 
   山隠(やまこも)れる 倭しうるはし
(日本書紀に第12代景行天皇の望郷歌とされている和歌)
まほろばとは、「素晴らしい場所」「住みやすい場所」という意味の日本の古語。

この和歌からも察せられるように、古代の人達が奈良を日本の中心地として国づくりをすすめ、やがて京都へと都を移したものの、その後も奈良と京都が日本文化の根源であり続けています。
ところが、驚いた事に、この「奈良」が県名から消えた時期があるのです。
幕末の動乱期(明治維新)に「廃藩置県(明治4年7月 3府302県が成立)」が行われ、更に その年11月に 3府72県に統合、そしてその後 現在の府県制が定着するまでに、二転三転の大変動(組み替え)がありました。
すなわち、明治元年5月に、摂津・河内・和泉の三国は大阪府として発足しましたが、翌月には和泉国を分離して「堺県」(今は無い)が設置されました。
その後 明治4年に堺県は、さらに河内国14郡つまり淀川の南を取り込み大阪府よりも大きな県になりました。その上、明治9年には奈良県全部を統合してしまう事になります。(地図参照)。
この時点で、名誉ある 誇り高き奈良県という名前がなくなるのです。奈良の皆さんに限らず、何んとも理不尽な事だと思いませんか。(堺の人は別かな)。
明治11年には、全国的に区郡制がしかれ、堺県下には、1区9郡が置かれました。1区は堺区でそこには区役所が置かれ、9郡は湊、岸和田、古市、八尾、枚方、奈良、三輪、御所、五条の各郡で、それぞれ郡役所が置かれたのです。気の毒な事に、奈良市は「堺県 奈良郡」となりました。
やはり、これには大分無理があったようで、明治14年になると堺県は全部廃止(堺は大鳥郡 堺)となり、奈良もろとも大阪府に併合されます。
次いで、明治20年11月には、やっと奈良県が大阪府より分立され、奈良市は奈良県 添上郡 奈良町となります。奈良県は再び奈良県にもどったのです。
明治23年にほぼ現在の府県制、群制度が確定しますが、堺県が存在したのは明治元年から14年まで。奈良県が史上から消えたのは明治9年から明治20年までという事になります。
皆さん、政権が替ると、こんなことも起こるものですね。
                            田村順造