ハッピーマンデイ制度により海の日は7月の第3月曜日ですが、「海の恩恵に感謝するとともに、海洋日本の繁栄を願うこと」を趣旨として施行された当時は7月20日で、この日はもともと1941年に「海の記念日」として制定されたことに因んでいます。
大阪府の「天保山ウォーターフロント再開発プロジェクト」の一環として、1990年7月20日に開館したのが「海遊館」で、新開発されたアクリルガラスを使用することで、これまでにない巨大水槽が実現しました。
この海遊館を企画したのがラウス・カンパニー (創設者:James Wilson Rouse) で、シドニーのウォーターフロント開発に引き続いて手掛けました。シドニーの開発費用の土地買収費対建設費は3対7で、大阪のそれは逆に7対3とのことですので、大阪ではシドニーの2倍強の費用を要したことになります。
ところで、「真実の行方」のアーロン役でアカデミー助演男優賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞助演男優賞を受賞した米国の有名な俳優 Edward Harrison Norton はRouse氏の孫に当たり、イェール大学史学科在学中に来日して、約1年間祖父の仕事を手伝いましたが、私が大阪府枚方市に住んでいた頃、大阪府の紹介で我が家にホームステイしていました。
海遊館が開館する3日前に報道関係者へ公開されましたが、当日の朝、Edward が「海遊館を案内する」と言うので訪れると、多くの報道関係者が詰めかけていましたので従業員入口から館内に入り、海遊館の内部を見学しました。ペンギンの居る水槽にはとりわけ多くの人が群がって、ペンギンが水中を上下するのを見ていましたが、我々は水槽の真裏の会議室からマジックミラーを通して、ペンギンと人の群れを同時に見ることができて不思議な気持ちでした。屋上はプラントの設備のように配管がレイアウトされていて、「太平洋水槽」ではジンベイザメの飼育担当者に促されて、バケツで何杯ものオキアミを与えましたが、水槽の上の通路が狭いので、ジンベイザメがあの大きな口を開けると、驚き・喜びと同時に不安を感じたことを今でも覚えています。
Edward からは、上述したウォーターフロントの開発費用の内訳の話も聞きましたが、彼が我が家へ来た日に帰宅すると、「初めまして、私はエドワード・ノートンです」と流暢な日本語で挨拶しましたので、「日本語が上手ですね。いつ日本語を覚えたのですか」と尋ねると、「来日前に4週間、特訓をしました」、「大学では日本史を専攻しています」とのことでしたので、「歴代の德川将軍の名前が言えますか」と尋ねると、「専門は中世です」と言いながらも、家康から慶喜までスラスラと答えたのには驚きました。
また、当時の米国では、ボランティア、特に外国でボランティアを経験すると、例えばニューヨークで就職する場合に非常に有利だとも言っていましたが、結局子役の経験もあることから俳優になったようです。 廣谷 倫成