2010年3月22日月曜日

春分の日

今日は月曜日ですが 昨日の祝日「春分の日」(3月21日)の振り替え休日です。皆様も3連休を有効にお過ごしのことでしょう。ご家族で、お墓参りに出かけられた方もおられるのではないでしょうか。

終戦後の「祝祭日の改廃」により制定された「国民祝日に関する法律」によりますと、「春分の日」は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」と定められています。 でも 一般には「春のお彼岸」として考えている人たちが多いのではないでしょうか。
ところで、彼岸という言葉は、古代インド語のパーラミター(波羅蜜多)が語源で、意味は「彼の岸へ至る」ということで、煩悩や迷いに満ちたこの世を「此岸」というのに対し、悟りの世界・仏の世界を「彼岸」と言うのだそうです。
日本では、昔(平安時代 大同元年(806年)が最初?。)から、「彼岸」という言葉を「あの世」と解釈して、亡くなられた人々を供養するという意味から お彼岸には ご先祖の供養のために、お墓参りをする風習がありますが、その理由の一つは、太陽が真西に沈むことから、西方極楽浄土の信仰と結びついた日本独自の仏教行事とされ、お墓参りをするようになった様です。

「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるように お彼岸は季節のくぎりです。「春分の日」は、秋の「秋分」とともに一年に二回の、昼と夜との長さが同じ日、つまり、太陽が真東から昇り、真西に沈む、最も自然の調和のとれた日なのだそうです。

私は一昨年エジプトを旅行した際に訪れた「アブ・シンベル大神殿」(新王国のB.C.1250年ごろラムセス2世により建造された)では、「年に2回(春分と秋分の日)日の出とともに神殿の奥まで日の光が届き、神殿の奥の神像を明るく照らす。」と説明を聞き、さすがに、天文学の発達した太陽神信仰の強い古代のエジプトならではの遺跡だと感じたことを思い出しました。
この遺跡は、アスワンハイダム建設に際して湖底に沈む事がわかり、1964年~1968年 ユネスコが中心になって各国から資金(4千万ドル)を集め、もとの場所より60m高い場所へと引越しを行ったことでも知られており、世界文化遺産保護活動のきっかけとなったといわれています。


同じ春分に、古代エジプトでは真東から昇る太陽を崇め、一方古来 日本では真西に沈む太陽を見て、西方極楽浄土での死後の救済を願っています。 日の出と日の入りの違いはあるものの、大自然をたたえる気持ちには変わりなく 連綿と現在まで引き継がれているのですね。 

           田村 順造

春の陽光

4月の陽気かと思えば、厳冬に戻り、都会にも大雪の状況。まさに三寒四温の春の到来前の出来事なのでしょうか。
そう言えば、つい先日の春ののどかさに庭を見渡せば、木蓮にあたる陽光が厳冬期の弱々しい光とは違って、何か明るい春の到来を賛歌している生き生きとした陽炎までも感じるような勢いを感じさせました。
毎年、この頃になると決まって感じる春の光の明るさなのです。何か冬の太陽光とは違って、春だぞーと鐘を鳴らしてでもいるような輝きを感じてしまうのです。
確かに真冬の弱々しい、輝いていても寒さにさらされた太陽の光とは違って、燃えるような陽炎を感じる光の洪水です。
いったいこれは何なんだろうと不思議な感覚を覚えます。

真冬の太陽の軌跡はずっと南に寄っているので、角度も違うでしょう。そうすると、太陽光が大気を通過する厚みも違って来る筈です。従って大気での光の吸収量も違ってくるでしょう。吸収のスペクトル特性を見れば、冬のスペクトル分布は春の分布に比べて長波長側が伸びていて、青の吸収が多いのではないか、そのため春は冬より青み増して力強く感じられるのではないかと考えたのです。

企業の照明研究所にいた頃、部下に大気の吸収スペクトル特性を調べさせたことがありました。太陽光の波長分布特性の季節による分布特性差です。しかし、残念ながらその有意差は認められませんでした。
写真の趣味の方はご存知のように、色温度というものがあります。黒体放射の色と対比したときの黒体の温度をもって色温度とするもので、通常はケルビン温度で表わされます。
色温度は高いほど波長が短いほうによりますが、この冬の太陽光に対して春になると太陽光の色温度も気温に比例して高くなると考えてはいけないのでしょうか。
この辺になるとどうも私の知識の未熟さを暴露するのですが、どう考えても春の陽光のまぶしさは何か冬とは違った明るさと暖かさを感じさせます。猛烈な黄砂が日本列島を襲い、一昨日は日本中が黄砂で視界も効かない酷い状況でしたが、この黄砂が去った今日は本当に春を感じる暖かな陽光です。
散歩をしていると、家々の庭の木蓮かコブシが真っ白な花を咲かせています。私には残念ながらコブシなのか木蓮なのか解かりません。私の解かるのはせいぜい桜ともみじとチューリップとひまわりくらいです。しかし、この春を満喫する花々の美しさを見るにつけ、春の陽光の不思議さを感じずには居られません。
                              梶原孝生

”宇宙への疑問”の回答

友人から宇宙への疑問の解答を頂きました。

シドニーの友人で著名なジャーナリストの方から解答を頂きました。
その方からの頂いた文を転記します。

アメリカ航空宇宙局(NASA)が、今月の2日、史上最も精査な地球の合成画像というのをを公開しました。実は、この公開を待っていたのですが、ここに、先日、梶原 孝生さんが宇宙への疑問の中で述べられていた回答がひそんでいます。あの画像は、見事なものですが、地球観測衛星テラが撮影した数千枚の画像を合成したもの、となっています。

そして、NASAの説明は、米海洋大気局のAVHRRセンサーで得られたデータも加味したと、しています。相当な精度と考えてよいと思います。

現在、地球観測衛星「テラ」のほかに、「アクア」が回っています。この二つには、36バンドの観測波長帯を持つ光学センサーが搭載されています。

この二つの観測衛星のうち、「テラ」は、1999年12月に打ち上げられました。

軌道の高さは、705キロです。1周99分で回っています。

観測幅は2330キロと発表されていますが、実のところはもっとやっているかもしれません。わかりません。

2日に公開された映像には、さらに海洋大気局のAVHRRセンサーのデジタル処理された画像も加えているということす。このAVHRRというのは、もう飛んですでに30年になります。ベトナムがカンボジアに侵攻した年に打ちあがった衛星に搭載されました。AVHRRの最初のAはAdvancedのAですが、地球を全部観測している貴重なセンサーです。30年たってもadvencedといえるのは、雲の画像というか情報を得るのに、極めて優れものです。
発表国がアメリカですから、どうしてもアメリカが中心に入った地球の映像になりますが、パッチワークですので、高度705キロから撮った画像でも、裏方のパッチワーク技術によって、地球の全貌を見せることができるというものです。

ちなみに、ご存知と思いますが、国際宇宙ステーション(ISS)は最低高度280km~最高高度460Kmの間を日によって高度を変えながら飛んでいまして、窓も小さいため地球は1/4~1/6?位しか見えないようです。 ISSの高度は大気の抵抗などで絶えず低下をつづけていますので、年に何回かブーストで軌道を数キロあげる必要があります。まあ、最高高度でも上記に書いたくらいです。

あとは、気象衛星です。日本のひまわりは、軌道高度 約36,000km ですが、東経140度上の静止衛星軌道です。

最新の画像をお楽しみになってください。
誰もみていないところの画像を、処理して作る・・これが正解のようです。
シドニー・ボーイ
以上で眼からウロコが落ちました。             梶原孝生

2010年3月19日金曜日

靱公園の”靱”のいわれ

私は 昨日、大阪科学技術センターへ出かけましたが、なんと靱公園の桜も大きく蕾みをふくらませておりました。 

ところで、この我々の本拠地である大阪科学技術センターの所在地一帯が、今では靱公園として広く市民に知られていますが、なぜ、「靱」と名付けられたのかご存知でしょうか? 

むかしは、この辺り一帯は、乾物の魚、干し鰯などを商う問屋や仲買商などが軒を連ね、毎日市を開いていた場所で、商人たちが「安い、安い」と大声を張りあげて、商いをしておりました。

丁度、たまたまそこを通りかかった太閤さま(豊臣秀吉)が、その売り声を聞き、安 と 矢巣(矢入れ)をひっかけて、「やす(安=矢巣)なら、うつぼ(矢入れ)ではないか」と洒落を言ったというのが、土地の人の聞き及ぶところとなり、この辺りを「靱(うつぼ)」という地名にしたと言い伝えられているのだそうです。

伝説にしても、私は少し無理があるようにも思いますが、言い伝えとは 案外そんなことが多いようですね。
                              田村 順造

2010年3月9日火曜日

奈良のお水取りは今年で1259回目です。

天気予報によると、今週は天候も雨や曇りがちで、冬の寒さが戻って来るらしいです。先週の温かさは 何だったのでしょうか。 
「春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど・・・」とこの時期になると「早春賦」がおもいだされ つい口をついて出てきます。
やはり、関西では 古くから言われているように「お水取りが 済まないと まだ本格的な春にはならない・・・」

ところで、奈良のお水取は いつだったかなーー 確か 3月の初めだった?  そうそう、3月1日~14日に 奈良・東大寺の二月堂で今行なわれています。
なんと、今年で 1259回目だそうです。よく続いて来たものですね。 

昔々、天平勝宝3年(752年)東大寺の実忠(じっちゅう)という僧侶が二月堂を建てて、始められたのだそうです。今では 3月12日の籠松明の場面が有名ですが、その舞台裏では、11人の練行衆による1か月にわたる厳しい厳しい修行があるのだそうです。
何故「お水取り」と言うのかというと、3月12日の真夜中、すなわち13日の早朝、三時頃に行なわれる行事に由来します。二月堂下の閼伽井屋(若狭井戸)から本尊(十一面観音)にお供えする香水を汲み上げるための行法を「お水取り(修二会、しゅにえ)」ということにあるのだそうです。
3月15日未明の満行を見届けて、ほっとしたように春が奈良にやって来ると言われています。
                             田村 順造