2013年12月7日土曜日

松下幸之助語録(その1)

 松下幸之助翁の有名な言葉に「松下電器はものをつくる前に人をつくる、あわせて電器商品をつくっている」という言葉があります。この言葉どおり松下電器の大きな特徴の一つに多くの人材を育成してきました。

 この人づくりの秘密を解く2つのキーワードがあります。1つは「凡事徹底」平凡なことを徹底してやらせることです。凡事を徹底することによって習慣づけを行うのが松下流の人づくりの極意です。「凡事徹底」が表れているものに5Sがあります。5Sこそ凡事徹底の最も典型的な例であると言います。
 もう1つは「覿面注意」(てきめんちゅうい)です。凡事が徹底できなかったら顔を見てその場で注意をする、叱るということです。幸之助さんの叱りかたは実にすさまじい叱りです(「叱り叱られの記」後藤清一氏参照)この二つの方法に松下幸之助翁の人づくりの基本があるというのです。平凡なことをしっかりこなすことを習慣づけ、それによってまじめに正直に、もっと言えば愚直に仕事をすることの意味を教えていたのではないかと考えられます。
 これに関係する考え方がもう1つあります、「小事は大事」です。小事にとらわれて大事を忘れてはならないが、小さな失敗は厳しく叱り、大きな失敗はむしろ発展の糧として将来に生かしていくことが一面では必要でないかと言っています。
 小さなことを叱る理由は2つあるという、頭のいい人は合理的に物事を考えます、合理的に物事を考える人はえてして小さな事を無視してしまいがちです。本筋だけを外さなければ良いと考えてしまいがちなのです。だからと言って小さな事を無視していると次第に組織自体が弱くなっていくのです。このことからも小さなことを徹底してやることが大切だと言うのです。(藪野)

                                                                                             藪野 嘉雄

2013年11月17日日曜日

ミスから教訓を学ぶ ~ビル・ゲイツ~

 今日は古いノートにビル・ゲーツ氏のことが書かれていましたので、ご存じの方もあるかもわかりませんが、ご紹介します。

ミスから教訓を学ぶ
  • 失敗にどう対応

  成功を祝うのはいいが、もっと大切なのは失敗から学ぶことである。失敗にどう対処するかで会社が社員の良い発想や才能をどれだけ引き出し変化に対応していけるかがわかる。ミスに冷静に建設的に対応するのと、軽視することとは違う。経営者はミスに関心を持ち、問題解決に責任を持たなければならない。しかし、特に新しいことをやろうとしている人々や会社の間では、失敗、後退もよくあることである。
  • 長期的成功のために

  ミスがすぐ責任につながらないと従業員がわかれば、アイデアを出しあって変革を提案しようとする雰囲気が生まれてくる。会社の長期的な成功のためにはとても重要なことである。ミスから教訓を引き出すと、間違いが繰り返されたり重なったりする確率も減ってくる。
  • 「成功は当然」が危険

  成功は当たり前と思いがちであるが、これは危険である。うまくいかない時は、昼も夜も,創意工夫して深く一生懸命考えるしかない。どんな会社もこれを経験した人を必要としている。どんな会社にも、ミスをして、それを最大限生かしたことのある人が必要である。(Bill Gates)

                                                                                            藪野 嘉雄

2013年9月1日日曜日

アンネ・フランクの像とバラの花


 2009年から毎年セミナーや研修の講師として京都府の綾部市を訪れています。今年も4月と猛暑の7月から8月にかけて訪問しました。
 いつも気になっているのが殺風景なJR綾部駅前のロータリーの中央にあるアンネ・フランクの像と周囲に植えてあるバラの木です。駅前の市の観光案内所でこの像とバラとの綾部市との経緯を聞いてみましたが誰も知りませんでした。
いつ見ても余り手を入れて整備された様子もなく、放置されているようでした。もう少し公園とまではいかなくても誰でもが親しみやすい場所にすればいいのにと思っていました。後日、市役所に尋ねてみますと少しわかってきました。
 この像は2001年10月にイスラエルのエルサレム市との友好都市宣言を記念し、永遠の平和を願って宗教法人聖イエス会(本部:京都市右京区・代表大槻 勝氏)から寄贈を受けて設置したとのことです。1971年聖イエス会の合唱団がイスラエルを訪れた際、アンネの父親であるオットー・フランク氏と出会った。以後同会の創立者、大槻 武二氏との交流が始まり、その後アンネのバラの苗が日本の贈られてきた、そのバラがアンネの像のまわりに植えられているとのこと、私が綾部を訪問する時はバラの開花シーズンが終わっているのでここでのアンネのバラが咲いているのをみたことがないのが残念です。
なお、像は彫刻家で東京芸大の本郷 寛氏の制作です。

 アンネ・フランクのバラと言えば兵庫県西宮にも有名な所があります。

 この場所の印象があるのでつい綾部の状態が気になるのです。1980年4月に西宮市にアンネのバラの教会が完成しました。この教会にもアンネの像と多くのバラが植えられています。また教会の中にはアンネ・フランクの資料館があります。
ここの像やバラは教会が管理していますのでいつもきれいに整備されています。
このバラも前述の大槻さんから贈られたものです、近くですから関心のある方は1度訪問されては如何でしょうか。
阪急電鉄の甲陽園駅前の住宅街の中にある小さな教会です。バラの開花のシーズンがいいのではないかと思います。
                                                                                藪野 嘉雄

2013年7月11日木曜日

山中伸弥先生の自伝を読んで

 山中伸弥先生の自伝を読んで

        「山中伸弥先生に人生とiPSについて聞いてみた」
  山中伸弥・緑慎也(聞き手) 著、2012.10.10発行、講談社、本体1200円+税


  昨年(2012年)末にノーベル医学・生理学賞を受賞された山中先生については、受賞発表直後からストックホルムでの授賞式にかけて多くの情報や先生の人となりが報道された。また、その後はiPSの研究事例が次々と発表され、つい先日も理化学研究所(神戸市)の目の「加齢黄斑変成」の臨床研究が始めて厚生労働省の審査委員会で了承され、iPSのヒトへの世界初の再生治療が始まろうとしている。

 この本はノーベル賞受賞発表直後に出版されたもので、「唯一の自伝」と書かれており、出版直後に読んで先生のキャリアに大変興味を引かれた。

 特に、先生が、神戸大→国立大阪病院→大阪市大(途中米国グラッドストン研究所に留学)→奈良先端大→京大、と多彩なキャリアを積まれた理由が先生本人の口で語られており、先生の生きざまに心を打たれた。

 東大阪でミシン部品の工場を営んでいた父親に生活の安定した医者になれといわれ、理学部を諦めて神戸大の医学部へ入学する。柔道やラグビーでよく骨折した縁で整形外科医を志したが、国立大阪病院での研修医のときに手術が下手で「ジャマナカ」と呼ばれて断念し、難病の患者を治したいと大阪市大大学院博士課程(薬理学専攻)を受け、基礎医学の道へ転進する。そして血圧降下剤の研究によって学位を取得した。
 続いて、ノックアウトマウス(遺伝子を変えて特定の機能を失わせたマウス)を使う研究をしたいと思い、その作成技術を習得するために、サンフランシスコのグラッドストン研究所へ3年間留学した。ここで「VW」(VisionとWork hard)とプレゼン力を教え込まれる。ハードワークのお蔭でガン抑制遺伝子と思われる新遺伝子NAT1を発見、この遺伝子の働きを抑制したノックアウトマウス3匹を持って大阪市大で助手として実験を継続したが、これはガン抑制の遺伝子ではなくマウス発生に必須の遺伝子であることが判明した。ここで、マウスの受精卵の中にあるES細胞(胚性幹細胞)の研究に転進する。ES細胞は高い増殖力と何にでもなれる分化多能性を持っている。

 1999年12月、奈良先端大でノックアウトマウスをつくる技術を持った助教授の公募があり、応募した。米国で身に着けたプレゼン力が効を奏し、特にスクリーンでポインターを動かさないで説明した点が、しっかりした教育を受けていると評価されて、採用された。初めて持った新設のラボへは新人は来てくれないとのうわさの中、新人の争奪戦でVisionをとうとうと話した。「ヒトの胚を使わずに体細胞からES細胞と同じような細胞をつくる。受精卵からつくるヒトの胚では倫理面と免疫拒絶反応で問題がある。一旦分化したヒトの細胞を何にでもなれる細胞に初期化したい」と。「実現には何十年かかるかわからない」とは伏せて言わなかった。こうして新人3名が入室し、技術員1名も配属された。
 ここから初期化のための遺伝子発見への挑戦が始まる。日、米でそれぞれ公開された遺伝子のデータベースを参考に、ES細胞の中の大切な遺伝子を100個選別し、実験で確かめて24個にまで絞り込んだ。

 いよいよヒトES細胞での実験が必要になってきたが、奈良先端大には医学部がなく、ヒトES細胞が扱えない。また倫理委員会設立を呼びかけたが進まない。こんな中、日本で唯一ヒトES細胞の培養に成功していた京大再生医科学研究所から誘いがあり、24個の遺伝子と研究者を携えて2004年10月京大へ移籍した。

 24個の遺伝子を必須の4個に絞り込み、皮膚細胞に送り込んで初期化に成功した。これをiPS細胞(induced pluripotent stem cells、人工多能性幹細胞)と名づけたが、これまでに発見した新しい遺伝子の名前を覚えてもらえないという悔しさから、iPODにあやかって命名した。そして国際的専門誌「Cell」に2006年8月に掲載された。
 2007年12月2日に大阪科学技術センターで山中先生の大阪科学賞の表彰式・受賞講演会が開催された。筆者は先生の名前も、iPS細胞も知らなかったが、若年型糖尿病、脊髄損傷、白血病などの治療が可能になると聞き、大変感銘を受けたことを昨日のことのように思い出す。なお、先生の受賞はこの後ノーベル賞受賞まで次々と続いたが、この大阪科学賞が最初の受賞ではないかと思う。
 それから5年、関西からノーベル賞受賞者が出たことを喜ぶと同時に、iPS細胞の創薬・治療への実用化がますます加速されることを心から祈りたい。                                                                                                                                    池田隆果 

2013年7月2日火曜日

海遊館の初代ジンベイザメに餌をやったことがあります

  ハッピーマンデイ制度により海の日は7月の第3月曜日ですが、「海の恩恵に感謝するとともに、海洋日本の繁栄を願うこと」を趣旨として施行された当時は7月20日で、この日はもともと1941年に「海の記念日」として制定されたことに因んでいます。

 大阪府の「天保山ウォーターフロント再開発プロジェクト」の一環として、1990年7月20日に開館したのが「海遊館」で、新開発されたアクリルガラスを使用することで、これまでにない巨大水槽が実現しました。
 この海遊館を企画したのがラウス・カンパニー (創設者:James Wilson Rouse) で、シドニーのウォーターフロント開発に引き続いて手掛けました。シドニーの開発費用の土地買収費対建設費は3対7で、大阪のそれは逆に7対3とのことですので、大阪ではシドニーの2倍強の費用を要したことになります。
 ところで、「真実の行方」のアーロン役でアカデミー助演男優賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞助演男優賞を受賞した米国の有名な俳優 Edward Harrison Norton はRouse氏の孫に当たり、イェール大学史学科在学中に来日して、約1年間祖父の仕事を手伝いましたが、私が大阪府枚方市に住んでいた頃、大阪府の紹介で我が家にホームステイしていました。 
 海遊館が開館する3日前に報道関係者へ公開されましたが、当日の朝、Edward が「海遊館を案内する」と言うので訪れると、多くの報道関係者が詰めかけていましたので従業員入口から館内に入り、海遊館の内部を見学しました。ペンギンの居る水槽にはとりわけ多くの人が群がって、ペンギンが水中を上下するのを見ていましたが、我々は水槽の真裏の会議室からマジックミラーを通して、ペンギンと人の群れを同時に見ることができて不思議な気持ちでした。屋上はプラントの設備のように配管がレイアウトされていて、「太平洋水槽」ではジンベイザメの飼育担当者に促されて、バケツで何杯ものオキアミを与えましたが、水槽の上の通路が狭いので、ジンベイザメがあの大きな口を開けると、驚き・喜びと同時に不安を感じたことを今でも覚えています。
 Edward からは、上述したウォーターフロントの開発費用の内訳の話も聞きましたが、彼が我が家へ来た日に帰宅すると、「初めまして、私はエドワード・ノートンです」と流暢な日本語で挨拶しましたので、「日本語が上手ですね。いつ日本語を覚えたのですか」と尋ねると、「来日前に4週間、特訓をしました」、「大学では日本史を専攻しています」とのことでしたので、「歴代の德川将軍の名前が言えますか」と尋ねると、「専門は中世です」と言いながらも、家康から慶喜までスラスラと答えたのには驚きました。
 また、当時の米国では、ボランティア、特に外国でボランティアを経験すると、例えばニューヨークで就職する場合に非常に有利だとも言っていましたが、結局子役の経験もあることから俳優になったようです。                                            廣谷 倫成

2013年6月29日土曜日

プロ野球・統一球を品質管理の観点から見る (後編)


 6月12日に日本野球機構が突然発表して以降、多くの報道がなされていますが、品質管理の観点から見ると、不可解な事実が次々と出てきます。

不可解-1
・突然の発表で大騒ぎになったことを受けて、日本野球機構(NPB)は6月14日、統一球の反発係数の検査結果を発表しました。 
 NPBの検査は統一球が導入された2011年に4回、2012年は3回行なわれ、毎回、本拠地のうち6球場で試合用に保管しているボール各1ダースを検査測定した結果、最低は0.405、最高でも0.411であり、すべての平均値が目標とされた基準値の下限である0.4134を下回っていた。また変更後の2回の検査での平均値は0.416となっています。(次図参照)




・プロ野球全体を統括し、メーカからボールを調達する日本野球機構が規格を下回る、つまり“規格外れ”のボールを2年間も使い続けたことは通常のものづくりの現場では考えられないことです。

不可解-2
・日本野球機構がメーカ(M社)を信頼し、管理検査をしていたのは不合理とは言えませんが、年間に4回だけというのは如何にも少なすぎます。 また6球場で試合用に保管しているボール各1ダース12個の測定というのはサンプルが少なすぎます。メーカから6球場に納入されたボールは同一ロットの可能性は少なく、統計的な数字(平均値と標準偏差)を得るには各ロットで最低でも50個の測定が必要と考えられます。
・ちなみにNPBのWebsiteによれば、セリーグは1試合あたり4ダース(48個)、パリーグは1試合あたり7ダース(84個)用意するとされていますが、野球中継を見ると、捕手の手前でショートバウンドしただけで新球に交換し、もちろんファールやゴロで処理されると新球が投手に渡されるので、球場は10ダース(120個)以上を準備するようです。

不可解-3
・ボールの反発係数の測定方法ですが、一説では専用の電子式計測器を用いて、マシーンから打ち出したボールを鉄板にぶつけ、衝突前の速度と跳ね返りの速度を計り、その比を反発係数として測定していると言われています。
・もう一つは、4mの高さから大理石上にボールを落とし、跳ね返りの高さから反発係数を計算しているとの説です。高さh1から落として跳ね返り高さがh2なら反発係数eは次式になります。

  e = (h2/h1 ) (るーと h1ぶんのh2)

この計算式に依れば、4.0mの高さからボールを落とすと跳ね返り高さは684mm~765mmの範囲が反発係数0.4134~0.4374に相当します。現在の統一球の製造元であるM社のWebsiteにはこの自然落下、反発距離による反発係数eの測定法が掲載されています。
このWebsiteには2011年の統一球について、「球速144キロ、スイング速度126キロ、飛び出し角度27度の条件下での飛距離が従来の約110.4メートルから1メートル短い約109.4メートルになるデータが出た」と記載されています。しかしホームラン数の激減がこの1mの差に依るとは到底思えません。
 
さらに、専用の計測器でも、また落下・反発高さ計測でもこの種の測定で有効数字4桁の精度を求めるのは無理が有ります。つまり、同じ球を用いて複数回測定を繰り返した時に4桁の精度でデータの再現性を得られるとはとても思えません。たとえばボールの皮の部分と縫い目の部分でも反発係数はかなり変わるはずです。つまり目標下限値0.4134の設定に合理性が見られないということです。

不可解-4
 ・本塁打の激減を受けて、2013年度から目標下限値を0.4155に再設定したとして,どれだけ飛距離が伸びると計算したかの根拠がよく分かりません。
ある流体力学の専門家の記述によれば、反発係数が0.01大きくなれば、理論的には飛距離が2m伸びる計算になるとされています。
NPBの検査による平均値(上図参照)では0.416-0.406=0.01の反発係数の差が打球の飛距離にどれだけ影響すると想定しているかということです。
・残念ながら特にホームランの飛距離は公式には計測されておらず、報道されるのはすべて“推定飛距離”ですが、今年のセリーグを見ているとブランコやバレンティンが特大のホームランを連発しています。また外野フライかと思われた飛球が悠々と外野席に飛び込むのを見ると、とても2mの飛距離アップとは思えません。
・これらの事象を見ると、飛距離は反発係数以外の無視できない要因があると考えられます。

結論として、品質検査の標本数、検査精度に合理性が無く、また基準を下回る試合球を不良品として返品せずに使い続けた判断、さらに飛距離との相関が不十分な反発係数での管理には合理性が無く、統一球の問題は奥が深いと思われます。                                                                                                                                    坂井公一



2013年6月23日日曜日

「歯」について想うこと ~ その3「抜いた歯に感謝」 ~


<前回からの続き>

 さて、結局私は 悩んだ結果、3本まとめて歯を抜きました。
 「先生、今抜いていただいた歯は、持ち帰りたいので、よろしくお願いします」
 「承知しました。時々、持ち帰られる方がおられます。貴方はどうしてですか?」
 「私は これまで歯医者さんに歯を抜いてもらった後 その歯を見て“畜生!これが私を痛みで苦しめてきた奴か!”と恨みの思いを込めて ゴミ扱いで投棄してきました。

 ところが 先日の 先生のお話を聞き 少し考えを改めました。今日抜いてもらった歯は 私が生まれてから今日まで、私と喜怒哀楽を共にしてきたのです、私が子供のころに“身体髪膚これを父母に受く”という教えを受けました。すでに私の父母は亡くなりましたが、この歯は父母から授かって、胎児のときも含めると80年近く私の体の一部として、悔しいときには歯を食いしばり、嬉しいときには大口を開け大笑いしてきました。毎日3度3度の食事の時には、ご馳走のときも 粗食のときも 五味(酸い、苦い、甘い、辛い、鹹い)を共に味わってきました。
 昨夜はこの歯にとっての“最後の晩餐”というわけで、久しぶりの中華料理をいただき別れを惜しみました。」
 「私の話で、そこまで考えていただくとは、思っていませんでした。有難うございます。私も職業柄、歯についての思い入れでは 人後に落ちないつもりですが、貴方の歯に対する優しさには 敬服しました。」

 抜歯の翌日 傷口の消毒に行きました。その時アシスタントの女性から 
「昨日持ち帰られた歯は どうされましたか」と尋ねられました。
「ジュエリーボックスに処置した日付と感謝のメモ書きを付けて入れました」
「あら 素晴らしい 歯は喜んでることでしょうね」

 私は子供の頃 乳歯が抜けた時に 下の歯は屋根の上に 上の歯は床下へ捨てるように言われ、そのように守っていたこと思い出しました。理由を聞いた覚えがないのですが、察するところ 前の歯(抜けた乳歯)に向かって真っ直ぐ生えてくることを願ったオマジナイの様なものなのでしょうか? 皆様はどのようにされたのでしょうか。

 さて、私の歯科通いは これからも続くことになります。ところが、どうやら下の前歯4本(下の奥歯はすべて抜いてしまいました)だけでは下の入れ歯を支えるのが限界で、人前で話をするには問題があるようです(ある種の発音をするときや 何か不快さを舌が感じた時に反射的に舌で入れ歯を突き上げる動きをするために、入れ歯が簡単に外れ 発音が乱れることになるらしい・・・絶望!!!)。
 しかし、問題解決の方策があるようです。即ち、“インプラント”で、1~2本奥歯を造ることです。でも健康保険が利かないらしい。(なぜか健康保険が利く方法では、これに代わるものはないそうです。でも、その話は歯を抜く前には聞かされていませんでした。)
 私の友人にもインプラントした人がいますが、それほど特別でもない治療なのに、保険外とは・・・怪しからん!。いざという時に役に立たない健康保険であることよ。
 残念ながら 相当高額の健康保険外(10割負担)の治療となります。 (おわり) 
                                                                                            田村順造


2013年6月20日木曜日

「歯」について想うこと その2「幼児期に歯が生え変わるのは」

<前回からの続き>

 約1週間後に 歯科医院を訪れ、私は「3本まとめて処置してください」と私なりの結論を伝えました。
先生は「了解しました お任せください」と、前回の口腔内写真とレントゲン写真で、今後の処置の説明を受けました。
 しかし、そこで私は いつもの癖で屁理屈を捏ねたくなり、
「先生 患者としての気持ちを少し言わせてもらっていいですか」
「はいどうぞ ご遠慮なくいってください」
「有難うございます。失礼を承知で 言わせてもらいます。
 歯医者さんは 患者の虫歯がひどくなると 大抵の場合抜いてしまい 後は 入れ歯や差し歯をして終わり、というのが普通ですが・・・
何故 自前の歯を生えるように出来ないのですか? 誰でも 幼児のころに 乳歯が抜けて永久歯が生えてきたのに その仕組みを再現することが何故出来ないのでしょうか? 
他の動物は 一生歯磨きもせず、歯医者も居なく、中には何度でも歯が生え変わり続ける動物(例えばサメなど)もいるのに・・・
ノーベル賞を頂いた山中先生の iPS細胞は歯よりも もっと複雑な臓器を創り出すことが可能になったそうじゃないですか 何とかしてほしいなー・・・」
 
「おっしゃる事は 尤もなことだと思います。歯医者も頑張って研究しておりますが、今の段階では ようやく動物実験で自前の歯を再生出来るようにするところまで来ています。しかし、歯の生える向きがコントロール出来ず、それを乗り越えないと実用にはなりません。したがって、人に適用されるまでには、まだまだ乗り越えるべきテーマがあり、我々の生きているうちには 間に合わないでしょうね。・・・
 なにしろ、人の永久歯の生える仕組みが分かったのも最近で、その仕組みは、女性の卵子と同様に、母体内で胎児の段階に準備され、決定しているらしいのです。まさに「神の領域」と言われる神秘的な世界らしいです。
 でも眼医者さんが、目が悪くなったからと言って、余程の事がない限り患者の目をくりぬいたりはしません。それと同様に、歯医者も もっと患者さんの身になって、簡単に歯を抜かずに治療するとか 自前の歯が生えてくるような努力をしないといけないと思っています。」
                                                               <次回につづく> 田村順造

2013年6月19日水曜日

「歯」について想うこと ~ その1 「80-20運動とは」~


皆様 既にご承知のことでしょうが、毎年6月4日(虫歯のむしに因んで?)から「歯の衛生週間」(厚生省・文部省・日本歯科医師会6/46/10) が設定されています。
先日、私は「京都の銘菓」との触れ込みにつられて、「おかき」を一枚頬張ったところ、味は良かったのですが、丹波の黒豆入りのおかきで、いきなり強烈な歯の痛みがあり、早速歯科医を訪れることとなりました。ところが、前回(2年前)治療していた医院は看板が変わっており、止むを得ず最近開業した近くの医院を訪ねることにしました。
この医院の院長は、50歳くらいの比較的若い先生で、受付も大変愛想の良い女性でした。初診ということで、口腔内をくまなくレントゲン撮影し、その結果下された診断が、左の下の奥歯の一本が痛みの原因だということでした。その上その歯の両側の歯も「やがて痛み始めるでしょう」との宣告でした。
現在 私は既に上下とも入れ歯をしており、特にひどいのは下の歯で、7本しか残っていません。日本歯科医師会が推進している運動に「8020運動」があります。“80歳になっても20本以上自分の歯を保とう”という運動だそうです。ところが、私は、来年は80歳になりますが、すでに自分の歯は17本しか残っていません。それをさらに3本抜くとなると、14本になり、80歳でマイナス6本の落第生になってしまいます。
 しかし、今回痛みの原因の1本だけを処置しても、下の入れ歯は作り直しが必要で、その間約10日間は入れ歯なしの不便を我慢しなければなりません。後の二本も遠うからず、同じ経過を辿る事になりそうだという事なら、一層のこと まとめて3本を一度に抜歯処置し、入れ歯も作り直してしまえば、苦痛・不便のトータル期間は短くて済むことになります。
 医者からは、「どの方法でも可能です。どの処置を採るかは 貴方が決めることです」といわれ、悩みました。私は、これまで何度も歯を抜いたことはありますが、毎回1本ずつでした。3本もまとめて抜いた経験はありませんので、正直のところ大分迷いました。
 医者も、「今すぐお返事いただかなくても結構です。今日は痛み止めを出しておきますから、次回にお返事を聞かせてください」とのことで、その日は帰りました。
                                           次に続く 田村順造

2013年6月14日金曜日

プロ野球・統一球を品質管理の観点から見る


やっぱりそうだったか!

6月12日に日本野球機構が突然発表した「統一球を本年度から反発力の大きい飛ぶ球に変更した」との報道に唖然とした。


調べると、公式球は重量141.7~148.8g、円周22.9~23.5cmと規則で定められており、反発力はコミッショナー事務局によって実測され、反発係数が0.41~0.44の基準を満たすボールが合格となり、公認マークが付けられる。(左写真)


 この公認試合球の統一前は4社(ミズノ、アシックス、久保田、ゼット)が試合球を製造し、主催球団に納品していたが、メーカにより飛びが違うなどの問題や、WBCなどの国際試合への慣れのために、2011年のシーズンからミズノ株式会社1社に統一したとのことです。
この統一球の採用後、ホームランが激減し、「一発逆転」の場面が減り、プロ野球は面白くなくなったと感じた人は少なくなかったと思います。
これらの興行面での配慮もあって、今年の公認球の反発係数が上方修正されたものと思われます。
最近8年間の各チームの一試合平均のホームラン数の変化を分析したのが次図です。(2013年度は6月13日分まで)

 
 明らかに2011年、2012年度のホームラン数は以前より激減し、飛ぶ球に変更した2013年度は12球団平均で昨年の1.5倍に増えています。
このグラフをよく見ると、2006年から2010年に向けて球団ごとのホームラン数のばらつきが拡大したのに対して、統一球の採用以降、球団でのバラツキは抑えられています。
 12球団の一試合平均ホームラン数とその標準偏差を示したのが次図で、確かにバラツキは低減しています。

 通常の生産現場での品質なら、2011年から工程品質を改善し、ばらつきは減ったが現物は下方管理限界(LCL)を下回るものが頻発のため、2013年からXバー(平均値)を上げるように設計を改善した、ということになりそうです。


 
 以前から球場の広さやドーム球場と風の影響を受ける球場の差に加えて、主催球団ごとに決まっていた試合球の種類など、ホームランの出方には不公平感が有ったようです。
 統一球の一つの狙いであった今年のWBCは優勝できなかったが、2013年から“黙って切り替えた”反発係数の高い「統一球」は野球を面白くし、以前の4社供給によるばらつきによる不公平の対策にもなり、意外に有効だと思われます。                                                                                                                                             坂井

2013年4月29日月曜日

大阪府ムーブプレスにATACの活動が紹介されました。

 大阪府から取材があり、早速に大阪府発行のムーブプレス5号にATACの紹介記事が掲載されました。





少しでも多くの方にATACの活動を知って頂けるとうれしく思います。



2013年3月23日土曜日

RWF 懐かしい言葉かも分かりませんが、 トヨタ方式を補強する技術として学んでみませんか

 いま本屋さんで、ものづくりに関する書籍を見ますと、沢山の出版社から大勢の著者による「トヨタ方式」の解説書で埋め尽くされています。私も長く、ものづくりにかかわってきましたのでトヨタ方式も学び、単に製造現場だけでは無く、工場に必要な機能をすべて網羅し、具体的な取り組み方法を学べる大変素晴らしい技術であると思っています。

 しかし、もう一方で自動車を作るトヨタ方式がものづくりの世界で万能かと考えますと、少し気になる点もあります。その一つは「設計変更」を考えてない事、もう一つは、無駄を省いて必要な仕事に絞って行ったあとで、その仕事を科学的な方法で改善する技術の不足です。

 大規模な生産システムが必要で、完成度が高い自動車は、工場から簡単に設計を変えろとは言えませんが、皆さんの会社では変更がそれほど困難ではないのではありませんか、ここに最大の合理化の種があります。

 RWFReady Work Factor)は19世紀の末から盛んになった作業改善への取組の中で、多くの研究者たちの半世紀に及ぶ研究開発の結果を集大成したとも言える技術です。人の作業を動作に分けて、動作の困難性に応じて定められた時間値を与えるもので、作業の効率を高めるには大変有効な手法です。
 日本が世界の工場になって行った1960年代から70年代にかけて多くの大企業が取り入れ、大きな成果を挙げました、その後、合理化の中心が機械化、無人化になって行くに従って、今では忘れられた技術になっています。
 しかし、現在も日本でものづくりを続けている中小企業にとっては有効な技術である事は間違いありません。ATACでは、皆さんのお役にたてるよう、この忘れられた技術であるRWFを掘り起こし、分かり易いテキスト・教材を用意しました。
 その第1回講習会を416日からスタートします、参加者が必ず使える事を目指して、少人数で、講義だけでなく現場での実習も組み込みます、トヨタ方式で絞った雑巾を、さらに絞る技術ですので、この機会を貴社の発展に活かしていただけたら幸いです。
吉田良耿 

2013年2月23日土曜日

ハーレーに見る商標権の重要性


 私の友人が60歳を超えて、バイクのツーリングに夢中になっています。レーシングスーツに身を包み、郊外を疾走する時に全身にダイレクトに伝わるエンジン振動、風を切って走る爽快感・・・等々を言っています。


 多くのバイクのエンジン音と排気音は「騒音」としか思えないのですが、ハーレーダビットソンの低く響く排気音は動画投稿サイトで検索すると山ほどヒットします。
 実はハーレーの排気音はUSPTO(米国特許商標庁)に商標登録されています。

 日本の商標法では登録が可能なのは「文字」「図形」「記号」や「立体的な形状(最近ではヤクルトの容器や「かに道楽」の動く看板が登録された)」などに限られていますが、米国、イギリス、ドイツ、フランスでは「音」が商標(サウンドロゴ)として登録できます。

 日本でも使われている「♪ポーン ピポンパンポン♪」というインテルのCM音は、我々にもなじみがあると思いますが、これも海外では商標として登録されています。
 色彩についても欧米では商標登録の対象であり、有名な「ティファニー・ブルー」は独占権が認められています。(下図)

 こうした視覚や聴覚に関する新たな商標権は世界的に企業ブランドを商品やサービスに盛り込めるほか、コピー商品を排除する抑止力としても有効に機能する効果があります。

 フランスでは偽造品が多い香水の「香り」も商標として登録しようという動きがありますが、今はボトルの形状までが商標登録の対象になっています。

 特許出願が先行技術調査や明細書の作成など多くの労力と費用が必要な割には最大25年間の権利期間に対して、商標登録はそのものズバリですから調査も手続も比較的容易で、しかも登録料(登録のための法定費用は37600円x区分数)を支払い、10年ごとに継続手続き(法定費用は10年分で48500円x区分数)をすると半永久的に独占的に権利が守られます。

 このように企業のブランドや商品のイメージを代表する商標権を日本でも拡大する方針が決まりました。特許庁は「動き」「ホログラム」「輪郭のない色彩」「音」などの登録が可能になる商標法改正案を今の通常国会に提出し、2014年の施行を目指しています。
 1年前にはアップル社のiPadの商標権問題で、アップルは中国企業に48億円の和解金を支払ったと報道され、商標権の重要性が改めて話題になりました。
 独自のブランドを育てたい企業さんは弁理士事務所や発明協会と相談し、拡大される商標権をビジネスに生かす、またはビジネスを守る取り組みが必要と思われます。                                                                                                                                              坂井公一

2013年1月30日水曜日

いわて三陸復興フォーラム


 1月17日の阪神淡路大震災の追悼式典が今年も神戸の東遊園地で催された。今年で18回目を数える。当時の生々しい思い出を後世に語り継ぐ行事として定着してきた。訪れる人のなかには震災を知らない世代も多くみられるようになった。

 昨年からは同じ苦しみを持つ神戸と東日本地区の方との絆を強めるため、東日本の方々も参加されるようになり、今年からは東日本大震災でなくなられた方々を悼む3.11を象った追悼の竹灯籠も始まっていました。あの大惨事が遠い記憶の彼方にある出来事のような気さえするほど平穏な日々が続いているなか行われるこうした追悼式典は当時を思い起こし、日頃の備えの大切さを思い起こすよい機会であります。

 こうしたなか1月26日に関西大学で岩手県が主催する復興フォーラムが開催され、参加をしてまいりました。これは首都圏、地元岩手県で開催する3回のフォーラムの先陣を切って行われたものです。開催された関西大学は社会安全学部をいち早く設けて安全を脅かす様々な問題を学問として取り組んできている大学です。岩手県の大槌町とは東日本大震災からの自律的復興支援プロジェクト(すすめ!大槌プロジェクト)を立ち上げ協力関係にあり、今回のフォーラムでも全学あげての支援体制でフォーラムが行われました。



 土曜にもかかわらず、200名を超える人が参加し大盛況で、災害に対する関心の高さがうかがわれました。当大阪科学技術センター・ATACも東北復興を支援するプロジェクトを立ち上げており、東北地区の中小企業の皆さんに必要な技術的支援を提供する活動を展開中であり、特に関心の高い内容のフォーラムでありました。   
                                                                                         三浦 実