2010年2月1日月曜日

冬期オリンピックが始まります

いよいよバンクーバーの冬季オリンピックがあと13日で始まります。わくわく して待っています。
私はカナダのバンクーバーが大好きで、今回のアルペン競技の会場となるバンクーバーの市内から3時間の北にあるウイスラーに毎年スキーに出かけています。もう、かれこれ14年、15~6回も行っているでしょうか。ある年は1月に行って、一旦、日本に戻って今度はスイスに滑りに行って、また日本に戻ってウイスラーに滑りに行った年もありました。また、5月のバンクーバーで満開の石楠花に圧倒され、ここから大陸横断鉄道VIAでジャスパーまで行き、カナディアンロッキーの大氷河を見に行ったこともあります。日本では石楠花は高山植物として富士山の上のほうや、北アルプスで良く見かけますが、バンクーバーの南でアメリカとの国境を越えたイチローやビルゲイツでおなじみのシアトルでは市の花が石楠花です。シアトルやバンクーバーの石楠花は日本のものと違って、大きな樹木で、花も赤や黄色、ピンクと華やかで至る所にあでやかな花を咲かせています。

バンクバーを大好きな理由の第1は、先ず空気が綺麗と言うことでしょうか。バンクーバーの国際空港に降り立って、空港から北を望むと空港から直線距離で約10キロのダウンタウンの林立した高層ビル街が見えて更にその先30キロにノースバンクーバーの白銀の山々が聳え立って見えます。大阪で我が家から40キロの生駒山や僅か20キロの六甲山だってこんなに綺麗には見えません。やはり空気が澄み切っているからでしょうか。なんと南には遥かにシアトルより先の白銀の独立峰レーニア山までもがかすかながら見えるのです。

空港で入国審査を済ませ、外に出たときの空気のうまさは、日本に帰ってきて関西空港の外に出て思わず息をとめてしまう情けなさと対照的に思わず深呼吸をしてしまいます。半導体のクリーンルームの空気の清浄度を示すレベルで言うならばクラス0.1でしょうか。
バンクーバーのダウンタウンを入り江のほうに降りて行って、パンパシフィックホテルの辺から有名なスタンレイパークを眺めると、その先に美しいライオンブリッジが見えます。まさにこれはサンフランシスコの金門橋を真似て造った橋でそっくりです。その光景もよく似ています。
オリンピックのアルペンスキー競技のウイスラーはこの橋を渡って北に約70キロ行ったところで、広大なしかもダイナミックなスキー場です。

例年、バンクーバーのダウンタウンですし屋にも入ります。昨年はここで「真央ロール」とか言って一昨年、浅田真央が気に入って食べて名前がついたカリフォルニアロールの変形巻き寿司を食べました。味は大したこともないのですが、おじさん達は可愛い真央チャンを想って喜んで食べていました。

もう8年前になりますが、米国ソルトレークでの冬季オリンピックで、アイスホッケー戦でカナダがアメリカを負かしたときには、バンクーバーは大騒ぎで、昔々阪神タイガースが優勝して道頓堀に飛び込む若者が絶えなかった馬鹿騒ぎどころではありませんでした。
ロブソンストリート(銀座に相当する)には車の屋根に上がって花火をかざして、あの冬の寒い中を上半身裸で騒ぐ若者で溢れかえりました。至る所で爆竹も鳴り大騒ぎでした。
カナダの連中は意外にもアメリカが大嫌いだという者が多いようです。理由を聞くとカナダよりアメリカを上に見ているからだと言っいたので成る程と思いました。アイスホッケーはカナダの国技のようなものなのに、いつもアメリカには負けていたのでこのときには国を挙げての大騒ぎでも無理なかったのでしょう。

バンクーバーに限らず、北米や欧州でも不思議に思う事として、彼らが寒さをあまり感じないことです。ウイスラーのスキー場の夜の街を、Tシャツ一枚で平気で歩いています。こっちは頭巾つきのコートを羽織っているのに、その前を平気でTシャツ一枚の若者が闊歩して行きます。もう一つ思うのは、雨も気にしません。
何時だったかニューヨークの街角で雨にあいました。外人は平気で濡れて歩いているのです。連中はステーキばかり食べるので顔も油で弾くのでしょうか。真似して濡れてみましたが、とても我慢できず、レストランに飛び込んで、背広の雨滴をハンカチで拭ったりしましたが、連中は平気です。ロンドンでは傘を持って歩くのが紳士のお洒落かもしれませんが、北米では傘を持っている人を見かけません。

そう言えば、雪の札幌でも現地の人たちは傘をさしていませんでした。我々だけが大仰に傘に積もる雪を払うのに懸命でしたことを思い出しました。しかし、外人の雨に濡れるのと、Tシャツ一枚にはいつも驚かされます。

まもなく始まるスキーのアルペン競技で、昨年、私たちも滑ったオリンピックコースを選手がどんな様子で走り抜けるのかをテレビで眺めるのが今から楽しみです。
                             梶原孝生