2010年3月19日金曜日

靱公園の”靱”のいわれ

私は 昨日、大阪科学技術センターへ出かけましたが、なんと靱公園の桜も大きく蕾みをふくらませておりました。 

ところで、この我々の本拠地である大阪科学技術センターの所在地一帯が、今では靱公園として広く市民に知られていますが、なぜ、「靱」と名付けられたのかご存知でしょうか? 

むかしは、この辺り一帯は、乾物の魚、干し鰯などを商う問屋や仲買商などが軒を連ね、毎日市を開いていた場所で、商人たちが「安い、安い」と大声を張りあげて、商いをしておりました。

丁度、たまたまそこを通りかかった太閤さま(豊臣秀吉)が、その売り声を聞き、安 と 矢巣(矢入れ)をひっかけて、「やす(安=矢巣)なら、うつぼ(矢入れ)ではないか」と洒落を言ったというのが、土地の人の聞き及ぶところとなり、この辺りを「靱(うつぼ)」という地名にしたと言い伝えられているのだそうです。

伝説にしても、私は少し無理があるようにも思いますが、言い伝えとは 案外そんなことが多いようですね。
                              田村 順造