1、 血の小便
私が現役の時代、世の中はカラーTVが大きく普及し、電気業界や販売店なども含めて、カラーTVに代わる次の大型商品に期待が集まりました。カラーTVに代わる大型商品は何かと関係者のみならずメディアも含めて、カラーポストは?ポストカラーは?などと世間では声高に叫ばれ、VTRが注目されました。
VTRの開発を担当していた私達は試作品が完成し社長にお見せするために松下(現パナソニック)本社2階の役員会議室でセッティングして待っていると、突然松下幸之助創業者がふらりと入ってこられ「これいくらで売るのか」と質問されました、以後2,3の質問され製品についてのご自分のお考えを述べられました。その中で技術的に難しいなどと私らが否定的な答えをすると「君ら“血の小便”が出るまでやったか」と厳しく叱責されました。
この言葉はまた、別の方からも聞かされました。当時副社長技術本部長の直括の特別研究室でVTRの開発を担当していました。常に新しいアイデアを要求される場面がありますが、なかなかいいアイデアが出てきません。副社長にこの案で進めさせてくださいと報告しますと「藪野君、“血の小便”が出るほど考えたのか」と追及されたことがあります。多分副社長も若い頃、創業者の松下幸之助さんからこの言葉で指導されたのだと思われます。
松下幸之助創業者と当時の中尾副社長 |
2、 物(ぶつ)が語りかけてくる
当時VTRは注目の製品であったので、創業者の松下幸之助さんもたえず開発の進捗状況を気にしておられたのだと思います。秘書を通じて再々報告を求められたので、本社の創業者の居室や西宮の本宅にまでも試作品などを持ち込んでお見せして報告に伺ったことがあります。その際には必ず私達には教訓というか物の見方をお教えいただきました、ここに紹介するのもその一例です。
「君な、物というもんは、じっとこう前において一時間ほどにらめっこしておったら、こうしてくれ、こんなにしてくれと言いよるもんや」「君ら屁理屈ばかり言ってるけど、言うだけやなしに実際にやらないかんのやで、自分の一所懸命につくったものを抱いて寝るくらいの情熱をもって見とったら、それは必ず何かを訴えよる。ここをもう少し丸くせよ、もう少し小さくしたら、軽くしたらと品物が教えてくれるで。そのようにならんといい物は出来んで」と厳しく言われました。 藪野 嘉雄