2015年11月7日土曜日

日本シリーズ、ヤクルト山田の3連発とバイオリズム

終わってみればソフトバンクの圧勝で終わった今年の日本シリーズですが、唯一観客を沸かせたのはヤクルト山田のシリーズ史上初の1試合3連発でした。

スポーツ選手が試合で実力を発揮できるかは日頃の鍛錬や、コーチやトレーナのサポート、相手投手との相性など様々な要因が関係すると思われますが、選手自身の体調の周期性と関連があるか調べてみました。

バイオリズムはドイツのベルリンで開業していた耳鼻咽喉科・外科の医師ウィルヘルム・フリース(Wilhelm Fliess, 1858-1928)が1897年に提唱した概念です。
フリースは医者として、患者の容態変化から23日の身体周期と28日の感情周期を見出しました。

各リズムは、生まれた日を基準とする同じ振幅の正弦波として表されるとしました。

シーズンでトリプル3を達成し、本塁打38本を打った山田の生年月日は1992716です.
2015年のシーズンは327日に始まり、山田は全143試合に出場しました. 143試合の中で32試合に本塁打を放ち、内4試合で2本、1試合で3本を放っています。

104日までのシーズン日程の中で、バイオリズムの身体周期23日から見ると高調が8回、低調が8回現れます。
山田の身体バイオリズムと本塁打有無の関係をグラフ化した図を以下に示します。
縦軸の1.0のラインの赤丸が本塁打を打った日、0のラインに並ぶのが本塁打無しの日です。
これで見るとバイオリズムと本塁打の相関は見られません。


 
身体バイオリズムと本塁打有無の関係をもっとわかりやすく表現したのが次のグラフです。
横軸に身体バイオリズムの高調、低調を示しますが、一見してわかるように両者に相関は見られません。 従ってこれをロジスティック回帰分析しても近似線が得られません。
ちなみに1試合に3本塁打を打った822日中日戦の係数は-0.89、日本シリーズ3戦目は1027日、その日の係数は-0.94です。













 残念ながらバイオリズムとの相関は見つかりませんでしたが、収穫はExcelの日付計算に関する優れた機能です. Excelでは190011日を起点0として、年月日のシリアルデータを計算しています。 上記の山田選手のバイオリズム計算では、誕生日から試合日までの日数はそれぞれ190011日からのシリアル値を求め、それを引算して閏年を加味した正確な日数を求めています. バイオリズムの身体周期に関する計算では日数を23で割り、その剰余(余りの数)÷23から三角関数sinθに代入して係数を演算します(Excelの三角関数ではθ部分はラジアンなので注意)

今回は打者にバイオリズムという周期性を当てはめることはできませんでしたが、一般のビジネスでは変動データの中に周期性が含まれることは多くあります。
 
周期性がわかればビジネスの予測に適用し、業績向上やロスの削減、人材や在庫の適正化に生かすことが可能になります。

そのような事案がありましたらATACにご相談ください。

                              坂井公一

2015年7月6日月曜日

RWF 人の作業を改善する技術を学んでみませんか

作業改善に一段とレベルアップをもたらす技術です

RWF 人の作業を改善する技術を学んでみませんか

 RWF(Ready Work Factor)は19世紀の末から盛んになった作業改善への取組の中で、20世紀の前半アメリカを中心に多くの学者・研究者たちの半世紀に及ぶ研究開発の結果を集大成したとも言える技術です。人の作業を動作に分けて、動作の困難性に応じて定められた時間値表から動作ごとに必要な時間値を求め、集計して標準作業時間を求めるもので、作業の効率を高めるには大変有効な手法です。
 日本が世界の工場になって行った20世紀の半ばには多くの大企業が取り入れ、大きな成果を挙げました、しかしその後、合理化の中心が自動化、無人化になるに従って、今では忘れられた技術になっています。
 しかし、現在も日本でものづくりを続けている企業では多品種、短納期に対応して人が作業を行う現場が多くみられ、今も有効な技術である事には変わりはありません。
 ATACでは、皆さんのお役にたてるよう、この忘れられた技術であるRWFを掘り起こし、分かり易いテキスト・教材を用意しました。平成25年5月にその第1回講習会を開催して以来、参加者が必ず使える事を目指して、少人数で、講義だけでなく現場を見ての実習も組み込み講習会を開催しています。

 吉田良耿

2014年12月28日日曜日

スマホは熟年世代の最強兵器だ

ガラケーから最新のスマホに変えてから1年になります.

多すぎるほどのアプリに戸惑いながら、少しずつその有効な使い方を習得しており、その一部をシリーズでご紹介します.

【1】デジカメのリモコンとしての活用
2014年10月8日の皆既月食の撮影を友人から勧められ、デジカメでの撮影を試みました.
しかし、超望遠レンズや頑丈な三脚は保有しておらず、どうすれば撮影できるか悩みました.
持っているのはミラーレスのデジカメとコンパクトな三脚のみ.
幸い、我が家の2階の窓からは障害物なく月が見えるのですが、何しろデジカメの方向を微妙に調整し、デジタルズームも併用して月を画面に捉えても、シャッタボタンに触れるだけで月はどこかに飛んでしまいます. そこでデジカメのNFC(Near Field Communication:近距離無線通信技術)を初めて活用し、スマホとデジカメをWi-Fiで接続し、カメラにノータッチでスマホからシャッタを切ることにしました.(左の写真は撮影機器と環境の再現画像です)
この方法が意外に成功して、欠け始めから終わりまでの2時間を写真に撮ることができました.
ちなみに皆既月食では月は地球に完全に隠れますが、波長の長い赤や赤外光が回折し、月を上手く照らしてくれます.デジカメは人間の目より赤外光を良く写してくれるので、肉眼より鮮やかに赤銅色に輝く写真が撮れました.ちなみに以下の写真で19:38の皆既月蝕時のデータはISOが800、シャッタ速度は1s、絞りはF5.6でした.


【2】テザリングでパソコンをネットに接続
 仕事でノートパソコンを持ち出すことが時々あるのですが、空いた時間にネットに接続したいこと
が有ります. 最近は多くの場所でWi-Fiに接続できるのですが、郊外などでそのようなホットスポットが見付からない時、スマホ経由でパソコンをネットに接続するのがテザリングです.
これもWi-Fi接続ですが、IDとPWで接続するので一部の公共のWi-Fiよりセキュリティー的には安全と思っています. 速度も決して遅くなく、ただしスマホの契約条件でデータ容量を決めているので、私の場合は3GB/月ですが、スマホにデータ使用量がグラフ表示されるので、高額の追加料金を請求されるリスクはあまりありません. 
 聞くところによると、最近はスマホだけで卒論を書いてしまう学生が出現するなど、若者はスマホを精一杯に活用しており、熟年世代も負けないようにしたいものです.
後編ではスマホで大画面のプレゼンをする方法、カーナビとの連携、大容量のデータストレージとしての利用などをご紹介します.
                           坂井公一

2014年4月13日日曜日

本の匂い、珈琲の香り

 40数年前のことですが、ちょっと贅沢な気分を味わえたのが京都の河原町通りにあった丸善に行くことでした。本屋さんには紙かインクが分かりませんが独特の匂いが満ちていました丸善の2階

には煌めくほどの洋書が並んでおり、また舶来の文房具、事務用品を羨望の目で見ていました。京都丸善は梶井基次郎の作品「檸檬」に実名で登場します。
 その洋書の並ぶ2階にはコーヒースタンドがあり、いつもコーヒーの香りがフロアーに漂っていました。学生などが近寄れる雰囲気ではなく、いつか自分もここでコーヒーを飲める身分になりたいと思っていました。
 就職して職場も住居も大阪になってからは丸善に出かけることは無くなりましたが、その丸善が2005年10月10日に閉店したことを後で知りました。
閉店が報じられて以降、書棚の上に檸檬を置いて立ち去る人が続出し、店はバスケットにそれらの檸檬を積み上げたようです。
 丸善ではコーヒーを飲めませんでしたが、近くの喫茶「築地」、「フランソワ」、そして東郷青児の作品が展示されている「ソワレ」ではコーヒーを飲みました。
驚くべきことにこれらの老舗喫茶店は今も営業を続けています。
洋書には縁が無かったですが、安価な文庫本はよく読みました。
昔買い集めた本の多数は処分してしまいましたが、現在は電子図書館である「青空文庫」で読むことができます。日本の著作権50年を超えた名著13000作品が無料で、しかもパソコンの大きな画面で見られるので文庫本の細かい字が読めなくなった身には助かります。 2013年は吉川英治、室生犀星、柳田國男らが青空文庫入りしました。遠くないうちに三島由紀夫(1970年没)、川端康成(1972年没)も電子化されます。その電子化(テキストデータ化)はボランティアが入力、校正、ファイル作成を担当しています。
 その方達を青空文庫では「青空耕作員」と呼ぶそうで、名前も微笑ましい感じがします。
 この無料の青空文庫がピンチを迎えています。TPP交渉では著作権を70年に改めるように米国から要求を受け、妥結すると“休耕状態”となり、三島由紀夫と川端康成がネットで読めるのはずいぶん先に伸び、文庫の収録が20年に渡り停滞することになります。
 海外では、グーグルが2003年から世界中の図書館蔵書のスキャンを始めており、ハーバード付属図書館が400年近くかけて収集した書籍のうち約1550万冊、スタンフォード付属図書館の100万冊以上、慶應義塾図書館の12万冊、ボドリアン図書館(オックスフォード大学)など、著作権保護期間を超えた書籍のデジタル化を今も進めています。
 貴重な書籍のスキャンは人が1枚ずつページをめくってやるようで、1冊あたり25~100ドルの経費を掛けたと言われています。現在、著作権の保護期間(海外では70年が主流)が満了した書籍は、全文が公開されており、著作権保護期間が存続している書籍は、書籍の一部がプレビュー表示され、同時に書籍販売サイトへのリンクが表示されています。ちなみに昔の半導体関係の専門書を検索すると、70年未満なので電子化されておらず、代わりに書店や所蔵図書館が掲示されるので、公平なシステムと見受けられます。
 もう一つのリスクは日本を含む200各国が締結するベルヌ条約が有り、米国で判決が出た著作権に関するすべての規制が自動的に日本にも及ぶ問題です。
 冒頭で述べた丸善京都店ですが、2015年春に営業を再開すると報道されています。その時には2階の喫茶コーナで、喫茶コーナが出来ればの話ですが、是非とも珈琲を飲みたいと今から楽しみにしています。                                                                
                              坂井公一

2014年3月31日月曜日

デンドライト

 デンドライトは樹枝状晶とも呼ばれ、あたかも枝が伸びたような結晶のことをいいます。北国の寒い日に窓ガラスに見られる氷の結晶も木の枝のような形をしているのはよく知られています。

 水は常温では液状で低温に冷却してはじめて固体になりますが金属は高温に加熱されて、はじめて液体となるため、溶けた金属を目にする機会は多くありませんが、金属も液体から固体になる際に芸術的といえるような結晶が生成しているのです。その一つにデンドライト状の結晶成長があります。
 一般の金属は複数の元素が混合されたり、不純物元素が含まれていて、液体状に溶けているときには均一に混ざっていても、凝固の際には純度の高い金属が優先的に結晶として固体になる性質を持っています。このときに結晶の成長に伴い液層の界面では他の成分が排出濃化され、成分分布と温度分布が複雑な関係になり、結果として結晶化しやすい方向に直線的に結晶が成長し、時には枝分かれして樹枝状のデンドライトが形成されます。このため冷却速度が異なるとデンドライトの形態も変化していきます。
写真は溶融温度が低いカドミウム溶液中で結晶成長させたアルミニウムのデンドライト組織です。
アルミニウムの結晶(凝固速度:速)
冷却速度が速い場合と、遅い場合に比べて、結晶の先端の形状が変化します。ゆっくりとした結晶成長では、はっきりとした結晶面(ファセットと呼ばれます)が形成され、芸術品のような形状を呈します。
アルミニウムの結晶(凝固速度:中)

アルミニウムの結晶(凝固速度:遅)

筆者がカナダ・トロント大学の研究生の頃の研究です(1975)。(指導教授:John W Rutter)
                             三浦 實

2014年3月2日日曜日

松下幸之助語録(3)

1、 血の小便

  私が現役の時代、世の中はカラーTVが大きく普及し、電気業界や販売店なども含めて、カラーTVに代わる次の大型商品に期待が集まりました。カラーTVに代わる大型商品は何かと関係者のみならずメディアも含めて、カラーポストは?ポストカラーは?などと世間では声高に叫ばれ、VTRが注目されました。
 VTRの開発を担当していた私達は試作品が完成し社長にお見せするために松下(現パナソニック)本社2階の役員会議室でセッティングして待っていると、突然松下幸之助創業者がふらりと入ってこられ「これいくらで売るのか」と質問されました、以後2,3の質問され製品についてのご自分のお考えを述べられました。その中で技術的に難しいなどと私らが否定的な答えをすると「君ら“血の小便”が出るまでやったか」と厳しく叱責されました。

 この言葉はまた、別の方からも聞かされました。当時副社長技術本部長の直括の特別研究室でVTRの開発を担当していました。常に新しいアイデアを要求される場面がありますが、なかなかいいアイデアが出てきません。副社長にこの案で進めさせてくださいと報告しますと「藪野君、“血の小便”が出るほど考えたのか」と追及されたことがあります。多分副社長も若い頃、創業者の松下幸之助さんからこの言葉で指導されたのだと思われます。

松下幸之助創業者と当時の中尾副社長

2、 物(ぶつ)が語りかけてくる

 当時VTRは注目の製品であったので、創業者の松下幸之助さんもたえず開発の進捗状況を気にしておられたのだと思います。秘書を通じて再々報告を求められたので、本社の創業者の居室や西宮の本宅にまでも試作品などを持ち込んでお見せして報告に伺ったことがあります。その際には必ず私達には教訓というか物の見方をお教えいただきました、ここに紹介するのもその一例です。
「君な、物というもんは、じっとこう前において一時間ほどにらめっこしておったら、こうしてくれ、こんなにしてくれと言いよるもんや」「君ら屁理屈ばかり言ってるけど、言うだけやなしに実際にやらないかんのやで、自分の一所懸命につくったものを抱いて寝るくらいの情熱をもって見とったら、それは必ず何かを訴えよる。ここをもう少し丸くせよ、もう少し小さくしたら、軽くしたらと品物が教えてくれるで。そのようにならんといい物は出来んで」と厳しく言われました。         藪野 嘉雄

2014年2月2日日曜日

松下幸之助語録(2)

不況またよし、松下幸之助・不況克服の心得十か条


第1条「不況またよし」

  不況、困難に直面して、ただ“困った、困った”と考えてはいないでしょうか。不況を後退につながる忌まわしいものと受け取るか、発展への好機と捉えるか、経営者としては“不況もまたよし、不況こそ改善・発展のチャンス”と考える。そうした前向きの発想からこそ、新たな発展への道も拓けてくるのです。

第2条「原点に返る」

  “この事業は何のために、いかに行うのか”という基本方針、経営理念を忘れてはいないでしょうか。問題が続出し、ともすればその厳しさに流されて、判断を誤りやすい不況時。そういう時にこそ、改めて原点に返ってみる。基本の方針に照らしてみる。そこから正しい判断も生まれ、断固とした不況克服の勇気と力が湧いてきます。

第3条「自らを点検する」

  自分なり会社の現状をよく点検し、正しい自己評価を得ることに努めているでしょうか。経営者に慢心があって、正しい自己評価を欠いたために、破綻を招くことが極めて多いものです。とくに不況時は、一歩誤れば命取りにもなりかねない“危機存亡の秋(とき)”。平時にもまして、冷静で念入りな自己反省、点検が欠かせません。

第4条「不退転の覚悟を」

  いざという難局に直面して、わが身を挺してぶつかっていく覚悟を持っているでしょうか。退くことは許されない。何としてもこの難局を突破するのだという経営者の強い執念と勇気、それが部下の意欲をも高め、思いがけない大きな力を生みます。不況、困難を飛躍、発展の好機に変える大きな原動力、それは経営者の不退転の覚悟から生まれてくるのです。

第5条「慣習を打ち破る」

  旧来の慣習に囚われていないでしょうか。非常時といえる不況期は、過去の経験則だけでものを考え行動しても、すんなりとうまくはいきません。“万策尽きた”という前に、これまで当然のこととしてきた慣習や商売の仕方を一度徹底的に見直してみる。そこから抜本的な改革も可能となり、打開の道もひらけてきます。

第6条「一服して待つ」

  あせって無理や無茶をしていないでしょうか。売り上げや仕事を確保することにとらわれて、無理な注文でも引き受けたり、極端な値引きの要求に応じたりしては深みにはまるばかり。不況の時には無理をせず、力を養おうと考えて、ちょっと一服することもまた必要です。そう腹を据えれば、痛手も少なく不況を乗り切ることもできるでしょう。

第7条「為すべきを為す」

  常に“何をなすべきか”
を考え、着実に手を打っていく努力をしているでしょうか。好況の時には、ともすれば気がゆるみ、あるいは忙しさにとりまぎれ、為すべきことを怠りがちなもの。不況時に倒産した要因の多くが、好況時につくられることを考えれば、いつ不況が来ても慌てずにすむように、日頃から為すべきことを為していくことが重要です。

第8条「ダムづくりの薦め」

  “ダムをつくろう”という意識を強く持って日々の経営に当たっているでしょうか。技術や人材、資金に設備、在庫、企画等々、“ダム”という考え方に基づいた余裕、ゆとりは、いわば経営の安定的発展を保証する保険料。不況に対してビクともしない企業体質を生むためにムダを除いてダムをつくらなければなりません。

第9条「打てば響く組織に」

  組織内の風通しが悪くなっていないでしょうか。良い情報も悪い情報も社員からどんどんあがってくる組織。外部の環境の変化に対する敏感な対応は、そのような活力ある組織から生まれてきます。不況に直面しても困らないために、好況時にも経営者は日々組織を風通しの良い状態に保つ努力を重ねることが肝要です。

第10条「責任は我にあり」

   業績が低下し、利益が上がらないのを不況のせいにしてはないでしょうか。どんな場合でも、やり方いかんで発展の道はあるものです。不況時の経営悪化とはいえ、それはやはり自らのやり方に当を得ないところがあると考えるべきでしょう。企業は社会の安定した発展のため経営者には“責任は我にあり”の姿勢が強く求められます。
                                                                                      藪野 嘉雄

2014年1月11日土曜日

イタリア生まれのコンピュータARDUINO

 今年のお正月は久しぶりに時間が取れたので、かねてより気になっていたArduino UNO(アルデュイーノ ウノ)というマイクロコンピュータを動かしてみました。


図1 Arduino UNOの入った箱
 コンピュータの入った箱はキャッシュカードより小さく、ちょっと気になる「永久保証」の文字が目に入ります。(図1)
 箱の裏にはさりげなくイタリアの地図が描かれています。(図2)
 箱を開くとさらに小さな掌に乗るマイコンボードが出てきました。重さはわずか28g、パソコンと接続するUSBコネクタがやたらと大きく見えます。

 
最初に必要なのがネットからArduinoのプログラムを開発するIDE(統合開発環境)のダウンロードです。
図2 箱とボードに書かれたロゴマーク

Arduino IDEは無償で利用できるソフトウェアです。
  再びボードに目をやると、基板の上下にずらっと入出力端子が並んでいます。(図3)



 
図3 掌に載せたARDUINO UNO
説明では14本のデジタルI/Oピンが利用可能
で、そのうち6本はPWM信号を生成でき、他に6本のアナログ入力があります。端子の電流能力は20mAと書かれているのでLEDぐらいなら直接点灯が可能ですし、外にトランジスタを付けるとモータやアクチュエータも立派に動かせます。
 ネットから取得したArduinoのIDE(統合開発環境)はエディター、コンパイラー、基板へのファームウェア転送機能などを含み、C言語でプログラムを作ります。プログラムのベリファイ機能を通してOKとなればプログラムをボード上のマイコンに転送し、パソコンと分離しても動作できるものです。

 ちなみにArduinoではプログラムを「スケッチ」と呼びます。ボードと一緒に購入した解説本は開発者のイタリア人の著述を直訳したもので、「パルメザンチーズを取ってくれ」などのイタリアらしい表現に溢れていてとても面白いものです。

 Arduinoプロジェクトは2005年にイタリアで始まり、「デザイナーなど、電気やソフトにあまり詳しくない人が思った事を簡単に実現できる仕組み」 を安価で簡単に使用できるコンピュータとして実現したもので、「フィジカル・コンピューティング」とも呼ばれています。

 思い返せば1970年代の終わりごろ、民生用の4ビットマイコンを初めて商品に搭載するときは開発環境も開発ツールもきわめて貧弱で、辛酸をなめた記憶があります。

 このボードコンピュータの価格は3000円ほどで、興味を持つ中学生、高校生でも十分に使えるもので、ロボットの制御や簡単な生産設備の制御にも使える能力があります。
 ワンチップマイコンは日本が開発と応用を主導し、今でも日本メーカが世界トップの占有率を持っていますが経営的には厳しい状態から抜け出ていません。
 ところで、Arduino UNO(アルデュイーノ ウノ)のUNOは調べるとイタリア語の1ですが、私には「右脳」と聞こえました。

 右脳は直感や創造性、空間認識、音楽、イメージなどの働きをしていると聞きますが、まず若い学生や電気の専門家以外が楽しく開発できるシステムを作ったイタリア人の発想に感心しました。
テキストと簡単な実験回路部品を含んだキットが6000円ぐらいで手に入るので、興味のある方はトライしてみて下さい。                                                                  坂井公一

2013年12月7日土曜日

松下幸之助語録(その1)

 松下幸之助翁の有名な言葉に「松下電器はものをつくる前に人をつくる、あわせて電器商品をつくっている」という言葉があります。この言葉どおり松下電器の大きな特徴の一つに多くの人材を育成してきました。

 この人づくりの秘密を解く2つのキーワードがあります。1つは「凡事徹底」平凡なことを徹底してやらせることです。凡事を徹底することによって習慣づけを行うのが松下流の人づくりの極意です。「凡事徹底」が表れているものに5Sがあります。5Sこそ凡事徹底の最も典型的な例であると言います。
 もう1つは「覿面注意」(てきめんちゅうい)です。凡事が徹底できなかったら顔を見てその場で注意をする、叱るということです。幸之助さんの叱りかたは実にすさまじい叱りです(「叱り叱られの記」後藤清一氏参照)この二つの方法に松下幸之助翁の人づくりの基本があるというのです。平凡なことをしっかりこなすことを習慣づけ、それによってまじめに正直に、もっと言えば愚直に仕事をすることの意味を教えていたのではないかと考えられます。
 これに関係する考え方がもう1つあります、「小事は大事」です。小事にとらわれて大事を忘れてはならないが、小さな失敗は厳しく叱り、大きな失敗はむしろ発展の糧として将来に生かしていくことが一面では必要でないかと言っています。
 小さなことを叱る理由は2つあるという、頭のいい人は合理的に物事を考えます、合理的に物事を考える人はえてして小さな事を無視してしまいがちです。本筋だけを外さなければ良いと考えてしまいがちなのです。だからと言って小さな事を無視していると次第に組織自体が弱くなっていくのです。このことからも小さなことを徹底してやることが大切だと言うのです。(藪野)

                                                                                             藪野 嘉雄

2013年11月17日日曜日

ミスから教訓を学ぶ ~ビル・ゲイツ~

 今日は古いノートにビル・ゲーツ氏のことが書かれていましたので、ご存じの方もあるかもわかりませんが、ご紹介します。

ミスから教訓を学ぶ
  • 失敗にどう対応

  成功を祝うのはいいが、もっと大切なのは失敗から学ぶことである。失敗にどう対処するかで会社が社員の良い発想や才能をどれだけ引き出し変化に対応していけるかがわかる。ミスに冷静に建設的に対応するのと、軽視することとは違う。経営者はミスに関心を持ち、問題解決に責任を持たなければならない。しかし、特に新しいことをやろうとしている人々や会社の間では、失敗、後退もよくあることである。
  • 長期的成功のために

  ミスがすぐ責任につながらないと従業員がわかれば、アイデアを出しあって変革を提案しようとする雰囲気が生まれてくる。会社の長期的な成功のためにはとても重要なことである。ミスから教訓を引き出すと、間違いが繰り返されたり重なったりする確率も減ってくる。
  • 「成功は当然」が危険

  成功は当たり前と思いがちであるが、これは危険である。うまくいかない時は、昼も夜も,創意工夫して深く一生懸命考えるしかない。どんな会社もこれを経験した人を必要としている。どんな会社にも、ミスをして、それを最大限生かしたことのある人が必要である。(Bill Gates)

                                                                                            藪野 嘉雄

2013年9月1日日曜日

アンネ・フランクの像とバラの花


 2009年から毎年セミナーや研修の講師として京都府の綾部市を訪れています。今年も4月と猛暑の7月から8月にかけて訪問しました。
 いつも気になっているのが殺風景なJR綾部駅前のロータリーの中央にあるアンネ・フランクの像と周囲に植えてあるバラの木です。駅前の市の観光案内所でこの像とバラとの綾部市との経緯を聞いてみましたが誰も知りませんでした。
いつ見ても余り手を入れて整備された様子もなく、放置されているようでした。もう少し公園とまではいかなくても誰でもが親しみやすい場所にすればいいのにと思っていました。後日、市役所に尋ねてみますと少しわかってきました。
 この像は2001年10月にイスラエルのエルサレム市との友好都市宣言を記念し、永遠の平和を願って宗教法人聖イエス会(本部:京都市右京区・代表大槻 勝氏)から寄贈を受けて設置したとのことです。1971年聖イエス会の合唱団がイスラエルを訪れた際、アンネの父親であるオットー・フランク氏と出会った。以後同会の創立者、大槻 武二氏との交流が始まり、その後アンネのバラの苗が日本の贈られてきた、そのバラがアンネの像のまわりに植えられているとのこと、私が綾部を訪問する時はバラの開花シーズンが終わっているのでここでのアンネのバラが咲いているのをみたことがないのが残念です。
なお、像は彫刻家で東京芸大の本郷 寛氏の制作です。

 アンネ・フランクのバラと言えば兵庫県西宮にも有名な所があります。

 この場所の印象があるのでつい綾部の状態が気になるのです。1980年4月に西宮市にアンネのバラの教会が完成しました。この教会にもアンネの像と多くのバラが植えられています。また教会の中にはアンネ・フランクの資料館があります。
ここの像やバラは教会が管理していますのでいつもきれいに整備されています。
このバラも前述の大槻さんから贈られたものです、近くですから関心のある方は1度訪問されては如何でしょうか。
阪急電鉄の甲陽園駅前の住宅街の中にある小さな教会です。バラの開花のシーズンがいいのではないかと思います。
                                                                                藪野 嘉雄

2013年7月11日木曜日

山中伸弥先生の自伝を読んで

 山中伸弥先生の自伝を読んで

        「山中伸弥先生に人生とiPSについて聞いてみた」
  山中伸弥・緑慎也(聞き手) 著、2012.10.10発行、講談社、本体1200円+税


  昨年(2012年)末にノーベル医学・生理学賞を受賞された山中先生については、受賞発表直後からストックホルムでの授賞式にかけて多くの情報や先生の人となりが報道された。また、その後はiPSの研究事例が次々と発表され、つい先日も理化学研究所(神戸市)の目の「加齢黄斑変成」の臨床研究が始めて厚生労働省の審査委員会で了承され、iPSのヒトへの世界初の再生治療が始まろうとしている。

 この本はノーベル賞受賞発表直後に出版されたもので、「唯一の自伝」と書かれており、出版直後に読んで先生のキャリアに大変興味を引かれた。

 特に、先生が、神戸大→国立大阪病院→大阪市大(途中米国グラッドストン研究所に留学)→奈良先端大→京大、と多彩なキャリアを積まれた理由が先生本人の口で語られており、先生の生きざまに心を打たれた。

 東大阪でミシン部品の工場を営んでいた父親に生活の安定した医者になれといわれ、理学部を諦めて神戸大の医学部へ入学する。柔道やラグビーでよく骨折した縁で整形外科医を志したが、国立大阪病院での研修医のときに手術が下手で「ジャマナカ」と呼ばれて断念し、難病の患者を治したいと大阪市大大学院博士課程(薬理学専攻)を受け、基礎医学の道へ転進する。そして血圧降下剤の研究によって学位を取得した。
 続いて、ノックアウトマウス(遺伝子を変えて特定の機能を失わせたマウス)を使う研究をしたいと思い、その作成技術を習得するために、サンフランシスコのグラッドストン研究所へ3年間留学した。ここで「VW」(VisionとWork hard)とプレゼン力を教え込まれる。ハードワークのお蔭でガン抑制遺伝子と思われる新遺伝子NAT1を発見、この遺伝子の働きを抑制したノックアウトマウス3匹を持って大阪市大で助手として実験を継続したが、これはガン抑制の遺伝子ではなくマウス発生に必須の遺伝子であることが判明した。ここで、マウスの受精卵の中にあるES細胞(胚性幹細胞)の研究に転進する。ES細胞は高い増殖力と何にでもなれる分化多能性を持っている。

 1999年12月、奈良先端大でノックアウトマウスをつくる技術を持った助教授の公募があり、応募した。米国で身に着けたプレゼン力が効を奏し、特にスクリーンでポインターを動かさないで説明した点が、しっかりした教育を受けていると評価されて、採用された。初めて持った新設のラボへは新人は来てくれないとのうわさの中、新人の争奪戦でVisionをとうとうと話した。「ヒトの胚を使わずに体細胞からES細胞と同じような細胞をつくる。受精卵からつくるヒトの胚では倫理面と免疫拒絶反応で問題がある。一旦分化したヒトの細胞を何にでもなれる細胞に初期化したい」と。「実現には何十年かかるかわからない」とは伏せて言わなかった。こうして新人3名が入室し、技術員1名も配属された。
 ここから初期化のための遺伝子発見への挑戦が始まる。日、米でそれぞれ公開された遺伝子のデータベースを参考に、ES細胞の中の大切な遺伝子を100個選別し、実験で確かめて24個にまで絞り込んだ。

 いよいよヒトES細胞での実験が必要になってきたが、奈良先端大には医学部がなく、ヒトES細胞が扱えない。また倫理委員会設立を呼びかけたが進まない。こんな中、日本で唯一ヒトES細胞の培養に成功していた京大再生医科学研究所から誘いがあり、24個の遺伝子と研究者を携えて2004年10月京大へ移籍した。

 24個の遺伝子を必須の4個に絞り込み、皮膚細胞に送り込んで初期化に成功した。これをiPS細胞(induced pluripotent stem cells、人工多能性幹細胞)と名づけたが、これまでに発見した新しい遺伝子の名前を覚えてもらえないという悔しさから、iPODにあやかって命名した。そして国際的専門誌「Cell」に2006年8月に掲載された。
 2007年12月2日に大阪科学技術センターで山中先生の大阪科学賞の表彰式・受賞講演会が開催された。筆者は先生の名前も、iPS細胞も知らなかったが、若年型糖尿病、脊髄損傷、白血病などの治療が可能になると聞き、大変感銘を受けたことを昨日のことのように思い出す。なお、先生の受賞はこの後ノーベル賞受賞まで次々と続いたが、この大阪科学賞が最初の受賞ではないかと思う。
 それから5年、関西からノーベル賞受賞者が出たことを喜ぶと同時に、iPS細胞の創薬・治療への実用化がますます加速されることを心から祈りたい。                                                                                                                                    池田隆果 

2013年7月2日火曜日

海遊館の初代ジンベイザメに餌をやったことがあります

  ハッピーマンデイ制度により海の日は7月の第3月曜日ですが、「海の恩恵に感謝するとともに、海洋日本の繁栄を願うこと」を趣旨として施行された当時は7月20日で、この日はもともと1941年に「海の記念日」として制定されたことに因んでいます。

 大阪府の「天保山ウォーターフロント再開発プロジェクト」の一環として、1990年7月20日に開館したのが「海遊館」で、新開発されたアクリルガラスを使用することで、これまでにない巨大水槽が実現しました。
 この海遊館を企画したのがラウス・カンパニー (創設者:James Wilson Rouse) で、シドニーのウォーターフロント開発に引き続いて手掛けました。シドニーの開発費用の土地買収費対建設費は3対7で、大阪のそれは逆に7対3とのことですので、大阪ではシドニーの2倍強の費用を要したことになります。
 ところで、「真実の行方」のアーロン役でアカデミー助演男優賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞助演男優賞を受賞した米国の有名な俳優 Edward Harrison Norton はRouse氏の孫に当たり、イェール大学史学科在学中に来日して、約1年間祖父の仕事を手伝いましたが、私が大阪府枚方市に住んでいた頃、大阪府の紹介で我が家にホームステイしていました。 
 海遊館が開館する3日前に報道関係者へ公開されましたが、当日の朝、Edward が「海遊館を案内する」と言うので訪れると、多くの報道関係者が詰めかけていましたので従業員入口から館内に入り、海遊館の内部を見学しました。ペンギンの居る水槽にはとりわけ多くの人が群がって、ペンギンが水中を上下するのを見ていましたが、我々は水槽の真裏の会議室からマジックミラーを通して、ペンギンと人の群れを同時に見ることができて不思議な気持ちでした。屋上はプラントの設備のように配管がレイアウトされていて、「太平洋水槽」ではジンベイザメの飼育担当者に促されて、バケツで何杯ものオキアミを与えましたが、水槽の上の通路が狭いので、ジンベイザメがあの大きな口を開けると、驚き・喜びと同時に不安を感じたことを今でも覚えています。
 Edward からは、上述したウォーターフロントの開発費用の内訳の話も聞きましたが、彼が我が家へ来た日に帰宅すると、「初めまして、私はエドワード・ノートンです」と流暢な日本語で挨拶しましたので、「日本語が上手ですね。いつ日本語を覚えたのですか」と尋ねると、「来日前に4週間、特訓をしました」、「大学では日本史を専攻しています」とのことでしたので、「歴代の德川将軍の名前が言えますか」と尋ねると、「専門は中世です」と言いながらも、家康から慶喜までスラスラと答えたのには驚きました。
 また、当時の米国では、ボランティア、特に外国でボランティアを経験すると、例えばニューヨークで就職する場合に非常に有利だとも言っていましたが、結局子役の経験もあることから俳優になったようです。                                            廣谷 倫成

2013年6月29日土曜日

プロ野球・統一球を品質管理の観点から見る (後編)


 6月12日に日本野球機構が突然発表して以降、多くの報道がなされていますが、品質管理の観点から見ると、不可解な事実が次々と出てきます。

不可解-1
・突然の発表で大騒ぎになったことを受けて、日本野球機構(NPB)は6月14日、統一球の反発係数の検査結果を発表しました。 
 NPBの検査は統一球が導入された2011年に4回、2012年は3回行なわれ、毎回、本拠地のうち6球場で試合用に保管しているボール各1ダースを検査測定した結果、最低は0.405、最高でも0.411であり、すべての平均値が目標とされた基準値の下限である0.4134を下回っていた。また変更後の2回の検査での平均値は0.416となっています。(次図参照)




・プロ野球全体を統括し、メーカからボールを調達する日本野球機構が規格を下回る、つまり“規格外れ”のボールを2年間も使い続けたことは通常のものづくりの現場では考えられないことです。

不可解-2
・日本野球機構がメーカ(M社)を信頼し、管理検査をしていたのは不合理とは言えませんが、年間に4回だけというのは如何にも少なすぎます。 また6球場で試合用に保管しているボール各1ダース12個の測定というのはサンプルが少なすぎます。メーカから6球場に納入されたボールは同一ロットの可能性は少なく、統計的な数字(平均値と標準偏差)を得るには各ロットで最低でも50個の測定が必要と考えられます。
・ちなみにNPBのWebsiteによれば、セリーグは1試合あたり4ダース(48個)、パリーグは1試合あたり7ダース(84個)用意するとされていますが、野球中継を見ると、捕手の手前でショートバウンドしただけで新球に交換し、もちろんファールやゴロで処理されると新球が投手に渡されるので、球場は10ダース(120個)以上を準備するようです。

不可解-3
・ボールの反発係数の測定方法ですが、一説では専用の電子式計測器を用いて、マシーンから打ち出したボールを鉄板にぶつけ、衝突前の速度と跳ね返りの速度を計り、その比を反発係数として測定していると言われています。
・もう一つは、4mの高さから大理石上にボールを落とし、跳ね返りの高さから反発係数を計算しているとの説です。高さh1から落として跳ね返り高さがh2なら反発係数eは次式になります。

  e = (h2/h1 ) (るーと h1ぶんのh2)

この計算式に依れば、4.0mの高さからボールを落とすと跳ね返り高さは684mm~765mmの範囲が反発係数0.4134~0.4374に相当します。現在の統一球の製造元であるM社のWebsiteにはこの自然落下、反発距離による反発係数eの測定法が掲載されています。
このWebsiteには2011年の統一球について、「球速144キロ、スイング速度126キロ、飛び出し角度27度の条件下での飛距離が従来の約110.4メートルから1メートル短い約109.4メートルになるデータが出た」と記載されています。しかしホームラン数の激減がこの1mの差に依るとは到底思えません。
 
さらに、専用の計測器でも、また落下・反発高さ計測でもこの種の測定で有効数字4桁の精度を求めるのは無理が有ります。つまり、同じ球を用いて複数回測定を繰り返した時に4桁の精度でデータの再現性を得られるとはとても思えません。たとえばボールの皮の部分と縫い目の部分でも反発係数はかなり変わるはずです。つまり目標下限値0.4134の設定に合理性が見られないということです。

不可解-4
 ・本塁打の激減を受けて、2013年度から目標下限値を0.4155に再設定したとして,どれだけ飛距離が伸びると計算したかの根拠がよく分かりません。
ある流体力学の専門家の記述によれば、反発係数が0.01大きくなれば、理論的には飛距離が2m伸びる計算になるとされています。
NPBの検査による平均値(上図参照)では0.416-0.406=0.01の反発係数の差が打球の飛距離にどれだけ影響すると想定しているかということです。
・残念ながら特にホームランの飛距離は公式には計測されておらず、報道されるのはすべて“推定飛距離”ですが、今年のセリーグを見ているとブランコやバレンティンが特大のホームランを連発しています。また外野フライかと思われた飛球が悠々と外野席に飛び込むのを見ると、とても2mの飛距離アップとは思えません。
・これらの事象を見ると、飛距離は反発係数以外の無視できない要因があると考えられます。

結論として、品質検査の標本数、検査精度に合理性が無く、また基準を下回る試合球を不良品として返品せずに使い続けた判断、さらに飛距離との相関が不十分な反発係数での管理には合理性が無く、統一球の問題は奥が深いと思われます。                                                                                                                                    坂井公一



2013年6月23日日曜日

「歯」について想うこと ~ その3「抜いた歯に感謝」 ~


<前回からの続き>

 さて、結局私は 悩んだ結果、3本まとめて歯を抜きました。
 「先生、今抜いていただいた歯は、持ち帰りたいので、よろしくお願いします」
 「承知しました。時々、持ち帰られる方がおられます。貴方はどうしてですか?」
 「私は これまで歯医者さんに歯を抜いてもらった後 その歯を見て“畜生!これが私を痛みで苦しめてきた奴か!”と恨みの思いを込めて ゴミ扱いで投棄してきました。

 ところが 先日の 先生のお話を聞き 少し考えを改めました。今日抜いてもらった歯は 私が生まれてから今日まで、私と喜怒哀楽を共にしてきたのです、私が子供のころに“身体髪膚これを父母に受く”という教えを受けました。すでに私の父母は亡くなりましたが、この歯は父母から授かって、胎児のときも含めると80年近く私の体の一部として、悔しいときには歯を食いしばり、嬉しいときには大口を開け大笑いしてきました。毎日3度3度の食事の時には、ご馳走のときも 粗食のときも 五味(酸い、苦い、甘い、辛い、鹹い)を共に味わってきました。
 昨夜はこの歯にとっての“最後の晩餐”というわけで、久しぶりの中華料理をいただき別れを惜しみました。」
 「私の話で、そこまで考えていただくとは、思っていませんでした。有難うございます。私も職業柄、歯についての思い入れでは 人後に落ちないつもりですが、貴方の歯に対する優しさには 敬服しました。」

 抜歯の翌日 傷口の消毒に行きました。その時アシスタントの女性から 
「昨日持ち帰られた歯は どうされましたか」と尋ねられました。
「ジュエリーボックスに処置した日付と感謝のメモ書きを付けて入れました」
「あら 素晴らしい 歯は喜んでることでしょうね」

 私は子供の頃 乳歯が抜けた時に 下の歯は屋根の上に 上の歯は床下へ捨てるように言われ、そのように守っていたこと思い出しました。理由を聞いた覚えがないのですが、察するところ 前の歯(抜けた乳歯)に向かって真っ直ぐ生えてくることを願ったオマジナイの様なものなのでしょうか? 皆様はどのようにされたのでしょうか。

 さて、私の歯科通いは これからも続くことになります。ところが、どうやら下の前歯4本(下の奥歯はすべて抜いてしまいました)だけでは下の入れ歯を支えるのが限界で、人前で話をするには問題があるようです(ある種の発音をするときや 何か不快さを舌が感じた時に反射的に舌で入れ歯を突き上げる動きをするために、入れ歯が簡単に外れ 発音が乱れることになるらしい・・・絶望!!!)。
 しかし、問題解決の方策があるようです。即ち、“インプラント”で、1~2本奥歯を造ることです。でも健康保険が利かないらしい。(なぜか健康保険が利く方法では、これに代わるものはないそうです。でも、その話は歯を抜く前には聞かされていませんでした。)
 私の友人にもインプラントした人がいますが、それほど特別でもない治療なのに、保険外とは・・・怪しからん!。いざという時に役に立たない健康保険であることよ。
 残念ながら 相当高額の健康保険外(10割負担)の治療となります。 (おわり) 
                                                                                            田村順造


2013年6月20日木曜日

「歯」について想うこと その2「幼児期に歯が生え変わるのは」

<前回からの続き>

 約1週間後に 歯科医院を訪れ、私は「3本まとめて処置してください」と私なりの結論を伝えました。
先生は「了解しました お任せください」と、前回の口腔内写真とレントゲン写真で、今後の処置の説明を受けました。
 しかし、そこで私は いつもの癖で屁理屈を捏ねたくなり、
「先生 患者としての気持ちを少し言わせてもらっていいですか」
「はいどうぞ ご遠慮なくいってください」
「有難うございます。失礼を承知で 言わせてもらいます。
 歯医者さんは 患者の虫歯がひどくなると 大抵の場合抜いてしまい 後は 入れ歯や差し歯をして終わり、というのが普通ですが・・・
何故 自前の歯を生えるように出来ないのですか? 誰でも 幼児のころに 乳歯が抜けて永久歯が生えてきたのに その仕組みを再現することが何故出来ないのでしょうか? 
他の動物は 一生歯磨きもせず、歯医者も居なく、中には何度でも歯が生え変わり続ける動物(例えばサメなど)もいるのに・・・
ノーベル賞を頂いた山中先生の iPS細胞は歯よりも もっと複雑な臓器を創り出すことが可能になったそうじゃないですか 何とかしてほしいなー・・・」
 
「おっしゃる事は 尤もなことだと思います。歯医者も頑張って研究しておりますが、今の段階では ようやく動物実験で自前の歯を再生出来るようにするところまで来ています。しかし、歯の生える向きがコントロール出来ず、それを乗り越えないと実用にはなりません。したがって、人に適用されるまでには、まだまだ乗り越えるべきテーマがあり、我々の生きているうちには 間に合わないでしょうね。・・・
 なにしろ、人の永久歯の生える仕組みが分かったのも最近で、その仕組みは、女性の卵子と同様に、母体内で胎児の段階に準備され、決定しているらしいのです。まさに「神の領域」と言われる神秘的な世界らしいです。
 でも眼医者さんが、目が悪くなったからと言って、余程の事がない限り患者の目をくりぬいたりはしません。それと同様に、歯医者も もっと患者さんの身になって、簡単に歯を抜かずに治療するとか 自前の歯が生えてくるような努力をしないといけないと思っています。」
                                                               <次回につづく> 田村順造

2013年6月19日水曜日

「歯」について想うこと ~ その1 「80-20運動とは」~


皆様 既にご承知のことでしょうが、毎年6月4日(虫歯のむしに因んで?)から「歯の衛生週間」(厚生省・文部省・日本歯科医師会6/46/10) が設定されています。
先日、私は「京都の銘菓」との触れ込みにつられて、「おかき」を一枚頬張ったところ、味は良かったのですが、丹波の黒豆入りのおかきで、いきなり強烈な歯の痛みがあり、早速歯科医を訪れることとなりました。ところが、前回(2年前)治療していた医院は看板が変わっており、止むを得ず最近開業した近くの医院を訪ねることにしました。
この医院の院長は、50歳くらいの比較的若い先生で、受付も大変愛想の良い女性でした。初診ということで、口腔内をくまなくレントゲン撮影し、その結果下された診断が、左の下の奥歯の一本が痛みの原因だということでした。その上その歯の両側の歯も「やがて痛み始めるでしょう」との宣告でした。
現在 私は既に上下とも入れ歯をしており、特にひどいのは下の歯で、7本しか残っていません。日本歯科医師会が推進している運動に「8020運動」があります。“80歳になっても20本以上自分の歯を保とう”という運動だそうです。ところが、私は、来年は80歳になりますが、すでに自分の歯は17本しか残っていません。それをさらに3本抜くとなると、14本になり、80歳でマイナス6本の落第生になってしまいます。
 しかし、今回痛みの原因の1本だけを処置しても、下の入れ歯は作り直しが必要で、その間約10日間は入れ歯なしの不便を我慢しなければなりません。後の二本も遠うからず、同じ経過を辿る事になりそうだという事なら、一層のこと まとめて3本を一度に抜歯処置し、入れ歯も作り直してしまえば、苦痛・不便のトータル期間は短くて済むことになります。
 医者からは、「どの方法でも可能です。どの処置を採るかは 貴方が決めることです」といわれ、悩みました。私は、これまで何度も歯を抜いたことはありますが、毎回1本ずつでした。3本もまとめて抜いた経験はありませんので、正直のところ大分迷いました。
 医者も、「今すぐお返事いただかなくても結構です。今日は痛み止めを出しておきますから、次回にお返事を聞かせてください」とのことで、その日は帰りました。
                                           次に続く 田村順造

2013年6月14日金曜日

プロ野球・統一球を品質管理の観点から見る


やっぱりそうだったか!

6月12日に日本野球機構が突然発表した「統一球を本年度から反発力の大きい飛ぶ球に変更した」との報道に唖然とした。


調べると、公式球は重量141.7~148.8g、円周22.9~23.5cmと規則で定められており、反発力はコミッショナー事務局によって実測され、反発係数が0.41~0.44の基準を満たすボールが合格となり、公認マークが付けられる。(左写真)


 この公認試合球の統一前は4社(ミズノ、アシックス、久保田、ゼット)が試合球を製造し、主催球団に納品していたが、メーカにより飛びが違うなどの問題や、WBCなどの国際試合への慣れのために、2011年のシーズンからミズノ株式会社1社に統一したとのことです。
この統一球の採用後、ホームランが激減し、「一発逆転」の場面が減り、プロ野球は面白くなくなったと感じた人は少なくなかったと思います。
これらの興行面での配慮もあって、今年の公認球の反発係数が上方修正されたものと思われます。
最近8年間の各チームの一試合平均のホームラン数の変化を分析したのが次図です。(2013年度は6月13日分まで)

 
 明らかに2011年、2012年度のホームラン数は以前より激減し、飛ぶ球に変更した2013年度は12球団平均で昨年の1.5倍に増えています。
このグラフをよく見ると、2006年から2010年に向けて球団ごとのホームラン数のばらつきが拡大したのに対して、統一球の採用以降、球団でのバラツキは抑えられています。
 12球団の一試合平均ホームラン数とその標準偏差を示したのが次図で、確かにバラツキは低減しています。

 通常の生産現場での品質なら、2011年から工程品質を改善し、ばらつきは減ったが現物は下方管理限界(LCL)を下回るものが頻発のため、2013年からXバー(平均値)を上げるように設計を改善した、ということになりそうです。


 
 以前から球場の広さやドーム球場と風の影響を受ける球場の差に加えて、主催球団ごとに決まっていた試合球の種類など、ホームランの出方には不公平感が有ったようです。
 統一球の一つの狙いであった今年のWBCは優勝できなかったが、2013年から“黙って切り替えた”反発係数の高い「統一球」は野球を面白くし、以前の4社供給によるばらつきによる不公平の対策にもなり、意外に有効だと思われます。                                                                                                                                             坂井

2013年4月29日月曜日

大阪府ムーブプレスにATACの活動が紹介されました。

 大阪府から取材があり、早速に大阪府発行のムーブプレス5号にATACの紹介記事が掲載されました。





少しでも多くの方にATACの活動を知って頂けるとうれしく思います。



2013年3月23日土曜日

RWF 懐かしい言葉かも分かりませんが、 トヨタ方式を補強する技術として学んでみませんか

 いま本屋さんで、ものづくりに関する書籍を見ますと、沢山の出版社から大勢の著者による「トヨタ方式」の解説書で埋め尽くされています。私も長く、ものづくりにかかわってきましたのでトヨタ方式も学び、単に製造現場だけでは無く、工場に必要な機能をすべて網羅し、具体的な取り組み方法を学べる大変素晴らしい技術であると思っています。

 しかし、もう一方で自動車を作るトヨタ方式がものづくりの世界で万能かと考えますと、少し気になる点もあります。その一つは「設計変更」を考えてない事、もう一つは、無駄を省いて必要な仕事に絞って行ったあとで、その仕事を科学的な方法で改善する技術の不足です。

 大規模な生産システムが必要で、完成度が高い自動車は、工場から簡単に設計を変えろとは言えませんが、皆さんの会社では変更がそれほど困難ではないのではありませんか、ここに最大の合理化の種があります。

 RWFReady Work Factor)は19世紀の末から盛んになった作業改善への取組の中で、多くの研究者たちの半世紀に及ぶ研究開発の結果を集大成したとも言える技術です。人の作業を動作に分けて、動作の困難性に応じて定められた時間値を与えるもので、作業の効率を高めるには大変有効な手法です。
 日本が世界の工場になって行った1960年代から70年代にかけて多くの大企業が取り入れ、大きな成果を挙げました、その後、合理化の中心が機械化、無人化になって行くに従って、今では忘れられた技術になっています。
 しかし、現在も日本でものづくりを続けている中小企業にとっては有効な技術である事は間違いありません。ATACでは、皆さんのお役にたてるよう、この忘れられた技術であるRWFを掘り起こし、分かり易いテキスト・教材を用意しました。
 その第1回講習会を416日からスタートします、参加者が必ず使える事を目指して、少人数で、講義だけでなく現場での実習も組み込みます、トヨタ方式で絞った雑巾を、さらに絞る技術ですので、この機会を貴社の発展に活かしていただけたら幸いです。
吉田良耿